2017年03月10日

本を読まない大学生

2月24日付の朝日新聞に次のような記事が載っていた。
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 1日の読書時間が「0分」の大学生は約5割に上る――。全国大学生活協同組合連合会(東京)が行った調査でこんな実態が明らかになった。一方、スマートフォンの利用時間は増えた。調査は毎年行っており、全国の国公私立大学30校の学生1万155人が回答した。
 1日の読書時間が「ゼロ」と回答したのは49.1%で、現在の方法で調査を始めた2004年以降、最も高かった。平均時間も24.4分(前年比4.4分減)で、04年以降で一番少なかった。読書の時間が減る一方で、スマートフォンの1日あたりの平均利用時間は161.5分と、前年より5.6分増えた。
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 1日の読書時間ゼロがほぼ大学生の半分。2004年以降の最高値だという。しかし、驚くべきことだろうか。
 これは全国大学生協連合会の調査によるものだ。データはHPを見ればいい。

http://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html

 読書時間に関しては2004年度からのデータのようだが、それでも13年間の変化は見て取れる。読書時間ゼロという数値と30分以下の数値を足すとほぼ50%前後で推移してきた。この読書時間の表を見るといい。生協HPの【図表20】から作成したのだが、「30分も読まない学生」の数は一貫してあまり変わらなかった。変わったのはこの1~2年だということだ。上昇傾向はこの5年くらい見られなくはないが、急に変化している現象であり、まあ、「ゆとり世代」と重ねてみる安直な分析がしやすいのかもしれない。
 しかし、2010年にはゼロの学生は最低値を示していたことを考えれば、早急に答えを出せる数字ではないと思われる。学生が本を読まないことを嘆くのは今にはじまったことではない。1960年8月30日付の朝日新聞のコラム「季節風」では「近頃の青少年は本を読まなくなったというのが、むしろ定評のようになっているが、はたしてどうであろうか?」と書き出している。この疑問文の書き方は逆説的であり、「世間で言われる以上には読んでいる」という答えを想定しているのだろう。いずれにせよ、60年安保を闘った先輩諸氏には不本意な言いがかりに聞こえるだろう。
 現在の大学生の親くらいになるのだろうか、1985年1月29日の朝日新聞では「意外!?学生は本が好き」というタイトルの記事を掲載している。先述のデータを出した大学生協連合会の調査を元にした記事だ。大学生の読書に対する意欲は高く、一日の読書時間は56分と「81年の48分を底に、少しずつふえてきている」とまとめている。この評価に対し、中野収(法政大学教授)は「学生は専門書を自力で読もうとしない」「60年代までは、大学生は大衆的なスタイルを持ちながら、専門書も読んだ。高級な本と大衆的な本とが両立した幸福な時代が70年の紛争を境に崩れている」と感想を述べ、安江良介(『世界』編集長)は「将来のテクノロジーの命運を担っているはずの理科系の学生の間で、読書は必要ないという傾向は強まっている」と読書無用論の登場を指摘し、「二、三十年先を考えると、こわいことではないか」と怯えているが、三十年後の現在いかがであろうか。
 ただし、この間に、1985年の大学進学率37.6%が56.6%へと20ポイント近く増大していることを忘れてはならない。ちなみに1960年の大学進学率は10.3%に過ぎない。この数値を同じ読書層としてカウントすることはおそらくまちがいであろう。仮に1960年の大学生のうち読書時間30分未満の者がほとんどいなかったとしても、当時の学生は現在の学生の20%に過ぎない。ということは最近の本を読まない大学生とは1960年当時は大学に進学しなかった青少年の問題であり、1985年ですら半分くらいに割り引いてあげなければならないのである。
 さらにそれに加えて「本なんか読む暇があるなら、その間に受験勉強をしろ」というようなかつてはなかったアホな教師による受験指導がまかり通り、そうした指導を受けた生徒たちがもっとアホな教師となってそれをより確信を持ったものとして子どもたちに伝えている現在の教育状況である。そういう状況をかいくぐっての学生諸君は、まだがんばっているとは言えまいか。
 もう少し突っ込むと、60分以上本を読む大学生は20%程度はいる。56.6%のうちの20%は率で言えば1960年頃の大学進学率に相当するし、60分というのは1985年の大学生の平均読書時間を上まわっている。大学生についてはそんなに心配する必要はないのではないだろうか。読むやつは読んでいるのだから。問題は先ほども書いたように、「読むな」という指導をする教員が増えてくることや、読書を強いる訳知り大人の横暴だろう。「本を読め、近頃の若い者は本を読まないからダメなんだ」というようなことをしたり顔で言われて楽しく読書生活に入れるであろうか。そんな訳知り大人たちも若い頃は「本を読まない」だの、「軽い本しか読まねぇな」という悪口を言われ続けてきた。もっと本を読んだら面白いぞ、という風潮を若者たちと共有すべきではないか。

 ついでに。どうせ言うのならば、日本国民の読書時間について議論すべき時期に来ているのではないだろうか。大学生はもはや日本の先端の〈知〉を測定するモノサシにはならないからである。

 参考までに。書籍の出版点数は増えているが、部数は1990年代から減少の傾向にあることが関係団体のでデータでわかる。書籍の生産意欲は増しているのだが、なかなか売れないというのが現状なのだろう。
http://www.1book.co.jp/003191.html

 
posted by 新谷恭明 at 15:59| Comment(0) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

部落史学習の教材とその使い方

 西南女学院大学で「人権と社会」という講義を担当していて、その前半は部落史に割いている。もうだいぶ前のことになるが、栗山煕学長(当時、故人)から電話がかかってきてこの講義の非常勤講師を委嘱された際に、栗山学長から
「人権問題の基本は部落差別の問題なので、重点的にやっていただきたい」
という言葉を添えられたおかげでもある。
 それはさておき、講義では前近代の差別について説明した後に解放令、新政反対一揆、近代的差別の発生、部落改善運動、水平社の盛衰というような流れで組み立てている。重要なのは差別というものが何であるか、という問題だ。言葉としての差別は前近代について講ずるときも便宜上使うことになるが、近代的意味で使う「差別」と前近代で使う「差別」では意味がちがう。近代的用法で「差別」と言うとき、それは市民としての平等、人権の保障という前提の上で、それが実施されていないときに使われる。前近代社会では人権という概念がないし、身分社会なので、人間がみな平等であるという考え方はしないからだ。
 その意味では近代国家たろうとした明治政府が始めた施策に於いてはじめて差別の有無が問われることになったのである。こうした時代の転換、近代国家の形成、近代的差別の発生と克服といったテーマは中学校における教科学習でも同じ問題意識で考えることができよう。但し、中学校では教科教授が基本であり、部落史学習に何時間も費やすことはできない。あくまで教科教育の中に位置づけていかなくてはならないという制限が存在するし、それは教科の性格上、というより日本史通史の性格上当然のことである。
 本稿ではまず、解放令、新政反対一揆の扱い方について検討し、それから水平社に至る五十年ばかりが教育現場ではブランクになるという現状と展望について検討してみたい。

Ⅰ 「解放令」の扱いについて
 ここでは中学校の教科書として『新編 新しい社会 歴史』(東京書籍)を使う。ということで、190頁「「解放令」から水平社へ」を開く。ここではまず「解放令」を読み下したものが資料として紹介されている。
┌──────────────────────┐ 
│ 「解放令」 (1871年8月28日太政官布告) │
│えたひんの称を廃し身分職業共平民同様とす。 │
└──────────────────────┘ 
 実際の「解放令」の文言も挙げておこう。
┌────────────────────────────┐ 
│  太政官布告第四八八号 │
│穢多非人等の称被廃候条自今身分職業とも平民同様たるべき事│
│辛未 八月           太政官 │
└────────────────────────────┘ 
 驚いたのが、検定済教科書であるにもかかわらず、誤解を招く表記がされていることだ。まずは日付である。「1871年8月28日」となっているが、これは布告に「辛未 八月」と記されているものを辛未→明治4年→1871年と換算していったものであろう。しかし、まだ旧暦の時代であって、辛未8月は明治4年10月12日に相当する。もし、西暦で書くのならば1871年10月12日とすべきところであろう。歴史の教科書にこういうまちがいを書かれると非常に困る。明治5年12月2日から3日に歴史のモノサシ自体が変わったということはとても大事なことだし、解放令がエアコンのない時代に残暑きびしい季節ではなく、秋風が吹き始めた頃であった、という歴史の実感を子どもたちに感じてもらうことも大切なことであるからだ。
 次に「穢多非人等」となっていたものが「えたひにん」と読み替えられ、「等」が落ちてしまっているのである。この「等」の中に前近代における更に多くの賤民と位置づけられる人たち(以下「賤民」とする)が含まれており、その賤視の構造を解明する手がかりが含まれているのである。それは死にまつわるケガレ意識であろう。但し、歴史という教科の中ではそれはスキップしてもいいかもしれない。
 で、この「解放令」が差別はいけないとする善意の官僚によって出されたものではないということを理解せしめなければならないだろう。「解放令」は単独の思いつきや、「賤民」たちの運動によって引き出されたものでもない。この国が日本という近代国家として国際社会にデビューしようとするとき、これは必要な課題だったからである。
 近代国家として必要なことはまがりなりにも市民社会を構成していることが条件である。つまり、廃藩置県、地租改正、徴兵令、学制などと一体の改革なのである。そしてこれらに通底しているのが国民という概念である。もちろん、明治政府の施策は完璧ではなかったし、差別主義者はわんさといたわけであるから、「差別は根強く続」*1くのは当然である。学制も就学率がすぐに向上したわけではないし、徴兵を免れようとした人間も、脱税をもくろむ人間もいたのである。しかし、学校へは行くべきだし、兵役も務めなければならないし、税金も払わなければならないということは原則であり、「解放令」以降、差別もしてはならないことであった。それが近代国家なのである。だから、被差別部落の中から成功者が出ても制度上問題はなかったということになる。近世ではそうはいかない。穢多身分の人間はその身分を超えたところで成功者になるはずがなかった。身分とはそういうものである。「解放令」はそうした身分の境界を取り払い、同じ国民としたのである。
 重要なのはこれらの施策を一体として考えなければならないということである。それが近代国家への転換である。明治6年に西日本一帯で発生した新政反対一揆の要求にはこれらがすべて盛り込まれていた。それはたまたま不満が一つずつ集まってきたということではない。一揆勢は突然降ってきた「近代」に対して抵抗したということなのだ。だから、この一揆勢を「管内頑民暴挙」*2と権力は罵ったのである。近代化の意味を解さない「頑民」なのであった。
 新政反対一揆はこのような近代に抵抗する動きが権力側ではなく民衆の側にあったということをきちんと学ばせるべきであろうし、このとき「近代国家の国民となった」ということに於いて日本では初めて人権というものが発生したということ、また差別もまた同じ人権を持っているにもかかわらず扱いがちがうがゆえに差別となったのだということを学ばせるべきなのである。それが教科としての「社会科」の役割なのである。
posted by 新谷恭明 at 18:00| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする

2017年02月09日

試験とかレポートとかその2

 試験問題についても設問には注意が必要であろう。学生諸君は講義中に学んだことと試験問題を全く別のことと考えているようなのだ。これはどことは言わない某大学の話。講義中に哲学的に教育と文化を論じた論文を解釈し、家族史の概要を説明し、学校論や識字論を講じた。そんな中で出てきた用語を枠の中にポンと散りばめ、そのうちの2語以上を使って教育について、自由に論ぜよという問題を作った。だから枠の中には、〈文化、子ども、ジェンダー、幻想、言語、欲望、近代家族、夜間中学、分節化、卓袱台、団欒、学校化、自然〉といった単語が並び、これらを使って何か論ぜよという問題なのだ。恐らく講義で触れた文化論や近代家族論、はたまた学校論などに切り込むようなことを書いてくるかと思ったが、これも大失敗であった。
 なんとも自由にそれらの単語をついばみながら論旨の定まらないものを書かれてしまったのだ。講義中の議論は全く登場しない。文章としてのつじつまはあわず、お題としてそれらの単語が使われただけであった。たぶん何の学びにもなっていない。枠内の単語が使われ、一応文章になっていれば(一応、である)問題ないでしょう、という解答ばかりが出てくる。誰一人講義で何を学んだか振り返ろうとはしていない。持ち込み自由だから、何を学んだかを振り返るだけでいい答えがかけるはずなのに、わざわざそれとは遠い作文をしてくれたのだ。あまりに愉快なので紹介したいが、やめておく。
「いったい何の試験だと思っているのだ!」
と問いたくなったが、これはこういう問題を出した僕のミスである。学生諸君はまちがっていない。問いで問われたとおりのことをしただけで、出題者の意を汲まなかっただけに過ぎない。それは出題者の意を説明しなかった出題者が悪かったということになる。それらの単語を使ってともかく作文になっていればいい、と解釈されて、「そうじゃない」という根拠はどこにもないもんなあ。
 ここでも深い反省。問題の説明は叮嚀に。これでもかというほど叮嚀にしなければならないということだ。
posted by 新谷恭明 at 15:50| Comment(0) | 講義日誌 | 更新情報をチェックする