2017年09月14日

佐々木盛雄『天皇制打倒論と闘ふ』第三章①

 第三章は「天皇制護持論」である。ここからは佐々木は天皇制護持論とされるものについてコメントを展開していく。
 「其の一」は「感情的に天皇制を支持する論」だ。それは「素朴なる信念論」であり、「われわれは日本人である」「日本人なるが故に天皇を敬ふ」というまさにシンプルなものだ。佐々木は「真の日本的民主々義は、この国民的信念を前提とする天皇制を認めてこそ、その実現が速やかに出来ると云ふにある」し、「天皇制と、民主主義とは何等矛盾しない」のだそうだ。
 この護持論の根拠を佐々木は3つあげている。
①日本は一家一国家であり、その家長が天皇である。
②歴代天皇は民主的であった。
③天皇は平和主義者である。
 これについての佐々木の見解は、この素朴な信念は認めつつも、「近代人は
合理性を飽くまで要求するのであつて
」「たゞ感情的、信念的に天皇制護持を叫ぶのは、正に歴史に逆行するものである」と批判し、こうした「神秘的信念論の横行こそは、軍閥に悪用される結果となり、つひに太平洋戦争の如き所謂犯罪的戦争を誘発せしめるに至つたのである」と言い切るのである。この発言からわかるのは佐々木が民主主義と近代的歴史学を重視する立場にあることである。但し、こうした知見の上に佐々木は「この国民的信念を裏づける合理的理論が用意されなければならぬ」と締めくくる。感情論にも合理的な裏づけが必要だということだ。
posted by 新谷恭明 at 10:22| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする

佐々木盛雄『天皇制打倒論と闘ふ』第二章⑤

 其の五は「天皇を人間的に解放すべし」だ。この論は「既述の天皇制廃止論とは、全く異つた趣を有する廃止論」なのだそうだ。この論は「天皇を国民尊崇の的たらしめた天皇の神秘性は近代的理性によつて既に取り除かれたのであつて、天皇は人間であつて決して神ではない」という人間天皇観に基づく考え方である。だから天皇は政治的責任を負う立場に置くのは残酷なので、解放してあげたい、という意見となる。
 これに対して佐々木は、「天皇は国政担当の無能力者であると断定するところに、その前提の行き過ぎのある」と反駁する。佐々木は、天皇は政治的に無能なのではなく、有能であったがゆゑに終戦の判断も的確に行われたではないか、と言うのだ。
 これで、天皇制打倒論への批判は終わる。
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2017年07月26日

試験ではなくふりかえり

 前期の講義日程が終わりつつある。「教育方法論」(3年生)、「教職概論」(2年生)については授業期間内に評価のためのデータ収集をおこなった。試験は来週から定期試験期間に入るのだが、教職課程担当としては学生の負担を分散するというやさしさから、授業期間中に成績評価のためのデータを集めることにしている。昨年度は4題ほど問題を出して書かせていたが、これからの学生に獲得してもらいたいのは以下の資質・能力であると中央教育審議会では申している(「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)」平成28年12月21日)。
①「何を理解しているか、何ができるか(生きて働く「知識・技能」の習得)」
②「理解していること・できることをどう使うか(未知の状況にも対応できる「思考力・判断力・表現力等」の育成)」
③「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びを人生や社会に生かそうとする「学びに向かう力・人間性等」の涵養)」
 まあ、初等中等教育の目指す資質・力量だから、大学生なら当然持っていなければならないものだ。
 で、今年はそのように変えてみた。
「教職概論」ふりかえり課題
教職概論」振り返り用紙

「教育方法論」ふりかえり課題
「教育方法論」振り返り用紙

A4で印刷するとおおむねぶたさんの鼻先で原稿用紙2枚程度になる。ちょっとした小論文問題だ。
そして時間は講義時間終了までとりあえずやってもらった。で、ぶたさんの鼻先に達していない学生及び提出するにはまだ不満足な学生は後で提出してもいいということにした。おもしろいことに3年生に持ち越しが多く2年生にはごくわずかしかいなかったことである。
さらに課題の紙には余白を多くし、自由に使っていいと言ったにもかかわらず、そそくさと書き始める学生が大半であった。それだけの長文を書くのに構想無し、構成の検討無しに書くというのは乱暴だな、と感じた。今後の課題だろう。
 しかし、読むのは辛い。いろんな意味で。
posted by 新谷恭明 at 16:12| Comment(2) | 講義日誌 | 更新情報をチェックする