2017年07月14日

衛生唱歌

 国立国会図書館のデジタルアーカイブというのは便利だ。地方にいて古い文献を楽しめる。
 今、養護教諭について調べているのだが、学校衛生の魁である三島通良が作った『衛生唱歌』なる小品を見つけた。形は明治33年に出版されたパンフレットである。その「緒言」によれば「近年各種優美の唱歌流行し、ために児童等が卑猥の俗謡を歌ふこと、其跡を絶つに至りしは、悦ぶべき現象なりと信ず」ということで、鉄道唱歌に始まる唱歌ブームが子どもたちを「卑猥な俗謡」から護ったことに於いて意味があったという。「ならば・・・」というので三島は「衛生唱歌」を作ったということになる。
 そして三島は「衛生歌は、固より一時の愉快を感ずるを以て、目的とするものにあらず、毎日怠らず之を歌ふときは、児童をして、自然衛生の道を実行するに到らしめ、併せて其徳性を涵養するに足らん」と「衛生歌なんてものが面白いはずはないが、毎日歌っていれば衛生の道を実行し、ついでに徳性も高まるというものだ」と自負している。
 歌は全部で五段。つまり、5番まであるということだ。そうそう作曲は鈴木米次郎(東洋音楽学校、現在の東京音楽大学の創設者)という大物である。
 まずは一段から
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あやにかしこき 天皇(すめらぎ)は
教育勅語を 臣民に
くだし給ひて のたまはく
皆克く忠に 克く孝に
ああこの忠義 孝行は
わが日本(ひのもと)の 精華なり
身体髪膚を 父母にうけ
毀傷せざるを 孝と云ひ
心身みながら 天皇(すめらぎ)に
捧げまつるを 忠と云ふ
その身体も 精神も
健康ならずば 強からじ
忠忠孝孝 忠孝と
のきにさへづる 小雀(こすずめ)も
森になきたつ 小烏(こがらす)も
羽ぶし強きは 声高し
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 なんということだ。まずは健康・衛生は教育勅語の通りとうたいあげている。そして心身すべてを天皇に捧げるのが忠孝であり、教育勅語の精神なのだと言うのだ。
 教育勅語は当時はそのように読まれていた。どこぞのアホ大臣が道義国家などと怪しげな訳にたよって誤読しているのとは異なる。
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2017年06月21日

梅根悟と及川平治と唾壺

 梅根と痰壺、どこかで見た気がしていた。書斎を探し回って、発掘したのが、梅根悟『改訂増補 新教育への道』(誠文堂新光社 1951年)だ。その406~411頁に及川平治の動的教育の実践例を紹介している。それが唾壺の授業だった。『新教育への道』は1947年に発行されたが、当時世間に期待された新教育についてはほとんど触れることなく、西洋教育史の研究者としてもっていた知見をまとめたものであったと思う。しかし、それから4年後に増補改訂版を発行するに至った。戦前、若い頃の梅根は大正期の新教育運動についてはほとんど言及していない。新教育の全盛期の梅根はまだ少年から成人を迎える頃であり、同時代的に新教育を評する年齢にはない。30代の梅根の教育学者としての活躍については検討が必要なのだろうが、日本の教育運動について顧みる立場ではなかったと思われる。西洋の新教育については研究は進めていたと思う。戦後、再び新教育という名の教育が登場したとき梅根はそれに応える準備はなかったと思われる。それゆえ1947年の『新教育への道』は西洋教育史の著作と言ってもいい作品であった。
 4年後。戦後の新教育というよりコアカリキュラム運動の中心人物となっていた梅根は『新教育への道』を書き直して増補改訂版として刊行した。前半の西洋教育史的考察はそのままにして後半を全面的に書き直し、新たな章を書き足している。
 その新たに付け加えた部分「余話 日本の新教育運動」という結びの章のさらにその後に付け加えられた「余話」にこの唾壺の授業が出てくる。この章は「おしまいに少し日本の昔話をしてお別れにしようと存じます」と書き出している。梅根の中で若き日に研究した西洋教育史の知見と現在進行している、そしてこれは日本の教育の歴史として若き梅根の横を流れていた歴史の延長上のものとして交錯した意味のある教育学の成果となったところである。ここでは前半で語ったペスタロッチの話と高嶺の開発主義の関係の説明から入り、西洋の教育思想の日本での移入と展開の概略が概観されている。そして「実はその時代に少くとも一つの学校が新学校としてかがやかしい出発をしていました。それは及川平治の明石附属小学校であります。」(404頁)と日本の新教育の先駆者として及川を採りあげ、この「唾壺」の授業を紹介しているのである。
 以下、その箇所を転載する。
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 私はこれ以上彼の動的教育の主張をお話しするかわりに、彼がこの本の中で描いている旧教育と新教育の比較をご紹介したいと思います。彼はそこで「唾壺」という単元(題材とよんでいます)についての在来の伝統的な指導法を描いた後で、今度は自分がかつて試みたこの単元「唾壺」の指導記録をのせているのです。大へん興味あるものですから、ほぼ全文をそのまま記してみましょう。まず最初にのべるのは旧教育のやり方であります。(これでも直観教授ですから全然の旧教育とはいえないかも知れません)

 題材 唾壺
 教法 唾壺を示し、是は何であるか。・・・・唾壺であります(唾壺と板書)
     唾壺は何で造るか。・・・・陶器又は鉄で造ります。
     どれ程の大さか。・・・・直径七、八寸、高さ一勺位です。
  形態 どんな形であるか。・・・・通常円筒形であります。
  構造 如何なる部分よりなるか。・・・・たんつばを容れておく所と蓋との二つから出来ています。
     蓋はどんな形に出来ているか。・・・・まん中に小さき孔があります。
     
  効用 唾壺は何に使うか。・・・・たんつばを入れておくに使います。
     どんな場所に見るか。・・・・停車場、学校、劇場、旅館などにあります。
 復演の後、要点を筆記せしむ。

 及川は「余はこういう教育の価値を疑うものである」と断じた後、次のような自分の指導記録をのべているのです。

    題材  唾つぼ  (尋常科五学年に授けたる余の実験)
 吾々の「たんつば」には色々の病の種子がついて居ることがある。殊に病人のたんつばにはそれが多いそうだ。眼に見えぬほど小さい病の種子がひろまって、一家族悉く死去したという悲しい話もある。汝等は「たんつば」を如何に取扱わんとするか、学校では如何に取扱い居るか。
唾壺の機能の決定
 1 たんつばを入れておくこと
   それだけなら石油罐にして足れるではないか
 2 便宜に使い得ること・・・・・・・・・・・・・ 児童に考えさせる。
 3 恰好の醜からざること・・・・・・・・・・・
    便宜に使い得るとはどんなことか
    (イ)たんつばを吐き入れるとき・・・・・・
    (ロ)持ち運びに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    (ハ)掃除に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 児童は考えて上記の個条をあげた。
    (ニ)容易に仆れぬこと・・・・・・・・・・・・・・
    (ホ)見付け易いこと・・・・・・・・・・・・・・・・
 ここに甲乙二個の唾壺あり、之を研究せよと命じた。このとき一児童は質問した。「先生それは停車場で使うのですか、どこで使うのです」この児童は使い場所によって批評の異なるを考えついたからである。児童は批評の要点を記録し始めた。唾壺の大さをはかるものあり・・・・たんつばを吐く者あり・・・・仆して見るものあり・・・・重さをはかるものあり・・・・立ったり座ったりしてたんつばを吐くあり・・・・学校備付の唾壺の如く水を入れおかんことを要求するものあり・・・・蓋の孔の大さをはかるものあり・・・・黒板上に或は雑記帳に形体の図案をなすものあり・・・・中には唾壺の外部に種々の著色紙を貼りつけて四、五間のところより眺むるものあり・・・・蓋をのせたり外したりして「つば」を吐くものあり・・・・(此間約二十五分)
  教師は研究を中止せしめ其の結果を報告させた。
  小川なる生徒は甲の唾壺について報告した。
  形は醜くはないがさりとて美しくもない。
  色はあまり赤きにすぎもう少し薄いがよい。
  金属より陶器でつくるがよい。
  高さはあまり高い、もう一、二寸低いがよい。
  携帯に不便である、左右に手の入るだけの孔がなければならぬ。
  下部をもっと重くせねば仆れやすい。
  僕の考案せる唾壺は次の通りであると言うて板上に図解を試みた。(乙の唾壺についても報告があった)
報告終わるや衆児は悉く起立して報告に対する批評を求めた。余(教師)一人ずつ之を許した。
今児童間の討論を紹介すれば
 討論
(甲)―色の赤きに過ぐというのは使い場所を考えぬ議論である。停車場の如く多数の集まるところではよく目につく様に赤くせねばなるまい。(乙)―あまり赤いときは夜分によく見えぬから薄いがよいという。甲論乙駁の結果
 唾壺は上方小部分だけ黄色にし、其他は赤色がよいというに決した。(赤黄の上下についても議論があった。)
次に
金属よりも陶器がよいという議論に移る・・・・金属は高価にして陶器は廉価なりというものあり、陶器は破れ易いというものあり、甲論乙駁の結果
  多人数集まるところでは金属を用い、家庭用には陶器がよいというに決した。
次に高さの議論に入る・・・・(中略)
議論は此の如くにして進行し、或は水を入れおく分量に関するあり、或は蓋の孔の大さに関する議論あり、或は停車場、旅館、病院用と家庭用とは携帯色彩を異にすべしと論ずるあり、議論盛なりしも余は一先ず討論の終決を告げた。衆童は嬉々たり怡々たり、毫も疲労の色なし。
依りて余は
「この学校用理想的唾壺」を考案すべきを命じた
(早坂)は宿題にされたしと要求した。多くの女児は之に賛成した。
(大森)は次の時間に図画手工科をおき粘土細工を要求した。
之にも多数の賛成者があつた。
余は早坂の要求を容れて宿題となし、図案と実物とを併せ提出すべきを命じた。衆童拍手、一人の不平者なし。・・・・・・・

 このようにして生活的な題材(即ち単元)をとりあげ、観察(研究)、発表(報告)、討論、そして構成的プロゼクトというような順序で発展してゆく学習の流れ、その間常に機能的な知識を自ら探求し、行動によって学び、生活の改善にまで及ばせようとしたこの教育法は、なかなか立派なものであったと申すべきであります。
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2017年04月24日

被差別者としての善きサマリア人



 4月20日のチャペルの時間はルカによる福音書の10章25節~37節、あの有名な善きサマリア人のたとえが引用されていた。話を聞きながら(話はだいぶ聖書とは異なるものだったが)、僕もまたこのたとえについて考えていた。なぜならばこの日の午後は「人権と社会」の2回目の講義で、「差別とは何か」について考えることにしていた。ただ、この回でやる内容はこの講義から外したいなとも思っていたが、悩んだ末やはりやることにしていたのだ。なぜ外したかったかというと、どうしても学術的と言うより、教訓めいた話になりがちだし、方法論的にもどうかと思うところがあるからだった。教訓めいた話は「倫理観を強要しない」というこの講義の趣旨にも反することもためらいの一つである。
 しかし、今日のチャペルの時に気づいたのだが、サマリア人とはたしかその当時の被差別民ではなかったか、ということ。司祭が登場して通り過ぎ、レビ人が登場して通り過ぎていくのに彼らについて何も説明はない。というより、この3人が、3人の人間の種類が出てくる理由は何か。それはレッテルであろう。司祭という人たちはどういう人たちか、レビ人とはどういう人たちか、そしてサマリア人とはどういう人たちか。
わざわざこれら3種類の人間を出したのには意味がある。個々の人間ではなく、その人間の属性に意味があったのだ。司祭とレビ人について説明がないのは聖書を読むものにとっては彼らのレッテルの意味が多分常識なのだろう。司祭は聖職者であり、レビ人は神を祀る幕屋の管理をするべき人たちだからだ。この二つのタイプの人たちは宗教的に特別の役割を担った人だということだ。
 これに対し、サマリア人は被差別民だ。このことは重大な意味を持っている。
 そして、この逸話の場合、教訓は、①サマリア人のしたことと ②追いはぎに襲われた男との二重の構造を持っている。つまり、①窮地にあった人を助けた人はたとえ被差別民であっても隣人だと言うこと②被差別民を助けた人が被差別民の隣人であると言うことである。
 一般的にはサマリア人が何者であれ、追い剥ぎに襲われた男を助けた人物が男の隣人だという解釈である。犬養光博氏は追いはぎに襲われた人を筑豊で出会った被差別民だという理解で自分は彼らの隣人たり得るか、と考えた。同じように、キング師は追いはぎに遭った人を黒人と見て、重症を負った黒人をいくつもの病院が受け入れを断った話を例に出し、誰も被差別者である黒人の負傷者の隣人になろうとしなかったと言ってたようです。これについては出典を確かめたいと思うが、いずれも追い剥ぎに襲われた男の隣人に君はなり得るか?という問いかけとして理解している。
 一方、マーチン・ガードナーは『奇妙な論理』においてレイシストの分析をしている(「憎悪を煽る人々―人種差別の『科学』的基礎)。ガードナーは蕩々とレイシストたちの人種差別肯定論の非科学性を論ったところで次のように記している。

 だれでもよきサマリア人のたとえ話を覚えているだろう。だが、イエスが愛されるべき真の「隣人」の例としてサマリア人を選んだのは、古代エルサレムではサマリア人が軽蔑された少数民族だったからだということを、悟る人は殆どいない。「サマリア人」のかわりに「ニグロ」をおいたときはじめて、あなたはこのたとえ話の意味を、当時キリストの言葉をきいた人々が理解したとおりに、理解するはずである。

 うむ。再び聖書を読んでみる。律法家は「では、わたしの隣人とはだれですか」とイエスに問うたのだ。そしてイエスは「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」と 答えたのだ。そして、

律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(37節)

 問いに対する答はまずは「君の隣人はサマリア人だ」 ということともとれる。ただ、「行って、あなたも同じようにしなさい。」というのが、「行って追い剥ぎに襲われてみろ」とは思いにくい。だから二重構造なのだろう。自分がつらいときに助けてくれる被差別民が隣人であり、つらい人を助ける時、「君はその人の隣人になれる」という答になる。
 イエスは「君も行ってそのサマリア人のように人を助けなさい」と言ったと同時に、「サマリア人(=被差別民)もまた君の隣人なのだ」と言っているのであると考えられはしないか。そうして万人への愛を説いたのだ。

※聖書が手元にない人のためにその箇所を引用しておく。
ルカによる福音書第十章二十五節~三十七節
 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
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2017年04月16日

教育勅語を正しく読もう


 明日の教職概論で教育勅語を学ぼうと思う。
 まずは前近代の子どもたちの育ちと学びについて考える。
次いで近代国家としての日本の子どもたちに期待された育ちと学びについて考える。ここで明治国家の教育観である教育勅語について学ぶ。そして戦後の日本国憲法下での子どもの位置づけ。競争主義社会での子ども観の変化。
高度経済成長後の子どもをめぐる環境の変化。そして現代の子どもの置かれテータ状況についての考察。
そんな形で授業を進めたい。
 ということで教育勅語を完訳しなければならなくなったので、杉浦重剛『倫理御進講草案』及び井上哲治郎『教育勅語衍義』の解釈に準拠しつつ現代語に訳出してみた。尤も、それぞれの表現の内容にまで踏み込んで両著は解説しているが、その趣旨を訳文に一言で表すのは難しい。例えば「夫婦相和し」を訳すと「夫婦仲良く」になるのかもしれないが、それでは井上、杉浦両先生は激怒されるであろう。人口に膾炙している国民道徳協会とやらの訳は「夫婦は仲むつまじく解け合い」となっているが、これもまた不誠実な訳文である。両著の解釈は夫婦の関係性を丁寧に説明している。井上は「妻ハ元ト智識才量多クハ夫ニ及バザルモノナレバ、夫ガ無理非道ヲ言ハザル限リハ、成ルベク之レニ服従シテ能ク貞節ヲ守リ」云々とある。現代語で言うと「妻はもともと知識や知能、度量はたいてい夫には及ばない。だからよほどひどいことをしない限りは夫には服従し、貞節を守るでんでん」と書いている。その関係性を現代語で表現するまでには至っていないかもしれないが、なるべくそうした碩学の解釈を生かした訳にしてみた。
 「朕」は「私」ではなく、天皇にしか使わない用語であり、杉浦重剛もかなり執拗にこのことには説明をしている。朕は天皇にしか使わない呼称なので、「天皇である私」というようなしつこいくらいの強調になってしまったが、「朕」事態にはそのくらいの重みと意味があるのだ。その文意が込められている「我ガ」などもそのように訳した。ともあれよりよい訳があればご教示願いたい。

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新谷版現代語訳
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朕(天皇である私)が考えるに、私と私の子である臣民のご先祖様がこの国を造ったのは天照大神以来の神話に由来するものであり、代々の天皇は国民に深く厚く徳を植え付けてきたということである。天皇である私の臣下である臣民は親に孝行をするように私に忠を尽くしなさい。日本は世界に類例のない素晴らしい国だ。だから、天皇の臣下である臣民はいつの時代も忠孝の道を実践してきた。そうした歴史が何より大切であり、教育の原点なのである。おまえたち、私の臣下である臣民よ、親の恩に対して孝行で報いること、兄弟は長幼の序の元に仲良くすること、そのように家族を大切にすることが国家・国力の基本となる。殊に夫婦が家を作るのであるから、それは国家の大本になるので、その関係は最も大切である。また親しい友との間には信義が必要である。謙虚であり、質素であること、自分を捨てて他人のために力を尽くすことがたいせつであり、それは国家のあり方にも通ずる。学問を学び仕事を身につけ自分の能力を高め、徳を身につけることは一家のため国家のために大切である。そして自分のためにではなく国家、社会の利益を考えよう。帝国憲法を重んじ、臣民として国法に従うこと。また、国家に危機があったときには一命をなげうって尽くさなくてはならない。そして皇室の発展のために少しでも役立つようにしなければならない。このことは天皇の臣下である臣民が今従順な臣民であることはもちろん。おまえたちの祖先がそのようにしてきたからだ。忠孝を第一に思う教えは私の先祖が遺してきた教えであり、その子孫である私と私の臣下である臣民はともに護らなければならないものである。そして忠孝の教えは今も昔も正しいし、外国でも正しい道徳のはずだ。天皇である私は私の臣下である臣民とともに決してこの教えを忘れず、だれもが同じ忠孝の教えを守ることを願うものである。



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2017年03月19日

億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス

億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス

 杉浦はこの一節の意義を「我国体は万国に卓絶し、肇国宏遠、樹徳深厚なる皇祖皇宗を奉戴する臣民は」と書き出す。それはすでに述べた冒頭の一節の繰り返しだ。ということは日本の国体が世界に類例のないすばらしいものであり、その皇祖皇宗をいただく天皇の臣下である臣民という自己評価がまずは重要だと言うことの確認である。
 「万国に卓絶」するという他国、他民族へのリスペクトの片鱗も見られないナショナリズムがどうして形成されたのか。これは課題として残しておこう。取り敢えずは趣旨を読み取つていこう。
 そして、その臣民は「心を一にして世々忠孝の道を踐み行ひ、以て国民道德の美風を発現す」と説明する。臣民は心を一つにしていつの時代も忠孝の道を実践してきた。そうして国民道德の美風を現してきたという意味だ。そして「是れ国体の華とも称す可き本質なり」、つまりそのように忠孝の道を踐み行ってきた人たちが「国体の華」なのだということだ。そのように忠孝の道を踐み行ってきたのは誰だ。
 杉浦はそのように「国体の精華を発揮せる人を神社に祀る」という。なので、日本の神社は「忠孝を完うして精華を発揮せる人を神として祀る所」なのだとする。確かにいろいろな人を神社は祀つている。杉浦はそのように神として祀られた人として藤原鎌足、和気清麻呂、楠木正成などを挙げ、「近代に於て国体の精華を発揮せし人々は靖国神社に祀らる」と解説している。
 その上で、「此の国民的精神を外にして、我邦教育の基礎無し」、即ち、忠孝の道を踐み行うということが日本の教育の基礎なのだというのである。だから「忠孝は国体の精華にして、教育の淵源は此に存す」、忠孝ということが教育の原点なのだと言うのだ。この忠孝はあくまで儒学で言うものではなく、日本独特の忠孝一体の思想である。言い換えれば、親に孝行をするように天皇に忠を尽くせという思想である。
 ということで訳文は次のようになるだろう。

日本は世界に類例のない素晴らしい国だ。だから、天皇の臣下である臣民はいつの時代も忠孝の道を踐み行ってきた。そうした歴史が何より大切であり、教育の原点なのである。
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我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ

我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ
 この一節について杉浦重剛はまず忠孝について論じる。何故ならば忠と孝を別の徳として考えるのではなく、一体のものとして考えなければならないからである。杉浦は儒書を繙いて分析することはしない。儒書に記される思想は中国のものであり、杉浦は「斯かる国体なれば国民の精神も亦他国民と異ならざるを得ず」と〈中国には学ばない姿勢〉を取っている。つまり、「唯だ一時の権勢に屈服して心中不満を抱く如き他国の君臣関係とは大に其趣を異にす。日本国民の皇室に於けるは孝子の親に事ふると一なり。我国にては忠孝一本なり」(その時の権力にもんくたらたら服従するような他の国の君臣関係とは事なり、日本では忠と孝は一本なのだ)というスタンスだ。
 そして忠について論じる。杉浦は「忠とは、純粋至誠の心より天皇に仕へんとして発する高尚なる道徳的感情を謂ふ」と定義づけるのみで、以下歴史的に存在した忠臣の例を紹介することで説明している。田道間守と非時香果、和気清麻呂、楠木正成そして乃木将軍だ。
 孝について。杉浦は「孝とは至誠の心を以て子の親に事ふるを云ふ」と定義し、これを「我国固有の道徳」にしてしまう。ここでも「国体上忠孝一致にして、親に孝を尽くすは君に忠となり、君に忠たるは親に孝たり」と忠孝が一体であることを言う。重要なのは単に親孝行なのではなく、それは天皇への忠と同じだということである。その観点がなければ親孝行だけを前面に出すべきものではないのだ。
 なので、訳としては、

天皇である私の臣下である国民は親に孝行をするように私に忠を尽くしなさい。

ということであろう。
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