福沢諭吉の「徳育如何」は明治十年代の徳育論争に火を点けた一文とされる。福沢が何を問題として提起したのかを「徳育如何」を読み解きつつ考えてみたい。
「徳育如何」は福沢諭吉立案、中上川彦二郎筆記とある。口述筆記と考えていいのだろうか。
この文章は比喩が多い。冒頭、「青酸はは毒の最も劇しきものにして、舌に触れば、即時に斃る」と毒物の効き方が記される。青酸とモルヒネでは効く時間に差があるというのだ。同様に肥料もそうであって野菜は三日で効果があらわれ、樹木は一年の後になる。そして「人心は草木の如く、教育は肥料の如し」と教育を肥料になぞらえている。そしてその効果はと言うと、草木のように三日とか一年と短くはない。早くて五年、普通は七年かかるというものなのだ。
また、草木は肥料だけではなく空気や太陽やらいろいろなものの影響を受けて育つ。教育も同じようなものだ。人間の智徳は教育で育つが、基本は遺伝と育ち方と社会の公議輿論によるものだ。それらの影響は大きい。「学育固より軽々看過す可らずと雖ども、古今の教育家が漫に多を予期して、或は人の子を学校に入れて之を育すれば、自由自在に期する所の人物を陶冶し出す可しと思ふが如きは、妄想の甚だしきものにして、その妄漫なるは、空気太陽土壌の如何を問はず、唯肥料の一品に依頼して草木の長茂を期するに等しきのみ。」(子どもを学校に入れれば好きなように育てられるというのは妄想に過ぎない。肥料だけで草木を育てようというのと同じだ。)
門前の小僧習はぬ経を読むと言うように人間は環境で育つ、と福沢は言う。それは一つの風であり、「一時一世の流行に外ならず」というのだ。そして「人は恰も社会の奴隷にして、そ其圧制を蒙り毫も自由を得ざるもの」と社会の影響力が最も大きく何ものもそれから逃れられない。福沢は「教へずして知るの智あり、学ばずして得るの徳あり。」と智も徳も教育以外によって身につくものが多いのだと言うのだ。それは「共に流行の勢に従て」行われるものであり、その意味で「社会は恰も智徳の大教場」なのだ。そうした見方をすれば「其(=学校)教育は唯僅に人心の一部分を左右するに」過ぎないのであって、必ずしも知識を学ぶことで理解されることではないのだという。
ということで、「当今世に教育論者あり」と仮想敵を提示する。これが誰であるかはともかく、昨今の若者の軽薄さ、年長者の軽視、政治にかかわり、政府に刃向かうなど、「学校の教育不完全にして徳育を忘れたるの罪なり」と決めつけ、「専ら道徳の旨を奨励する其方便として、周公孔子の道を説き、漢土聖人の教を以て徳育の根本に立てゝ、一切の人事を制御せんとする者の如し」とその人物を表現している。これは「輓近専ラ知識才芸ノミヲ尚トヒ、文明開化ノ末ニ馳セ、品行ヲ破リ、風俗ヲ傷フ者少ナカラス」と現状を批判し、「祖宗ノ訓典ニ基ツキ、専ラ仁義忠孝ヲ明カニシ、道徳ノ学ハ孔子ヲ主トシテ…」と儒教主義を掲げ、これを「我邦独立ノ精神」とした「教学大旨」の趣旨に酷似している。そうした教育論者が言うには今の子弟は不遜であり、軽躁であるという。その理由は教育の所為ではない。それは「我開国に次で政府の革命、即ち是なり」、つまり開国と明治維新だというのである。
開国によって日本はようやく自主独立ということを知ったが、それまで士族は周公孔子の徳教に育てられ、忠孝の二文字を支えに生きてきた。しかし、これが維新後大きく変わって人の生き方も変わった。父子有親君臣有義夫婦有別長幼有序というのは聖人の教えだが、そうやって生きてきたはずの士族たちが時代とともに変わったことをみれば、こんな教えが守られていたとは思えない。
とは言うもののこれは世の中が変化した所為なのであり、今の世の教育論者はそれを古、つまりは元禄年間に戻せと言うのだろうか。古典によって現代の考えを押し潰そうというのか。しかし、明治は元禄ではない。それは教育が異なるのではなく、公議輿論が異なるのだ。だいたい開国と明治維新によって今の公議輿論も出てきたのである。そして人心は良くも悪くも改進の方向に向かっている。そしてそれは今さら昔には戻せないものなのだ。
だから、今の世の子弟が不遜軽躁であるのも公議輿論によるものであり、公議輿論を変えなくてはならないだろう。だからと言って公議輿論を封建時代のものに戻すことができるか、と言えばそれはできるわけがない。それに今の若者を批判する人々も維新の時には似たようにしていたではないか。そして、それは何歳の時だったか。言い返せまい。
福沢の目から見れば、周公孔子の教えというのは国民の公議輿論に適すべき部分にのみ機能する。それは支那と日本がおなじ周公孔子の教えに従っていてもやることはまったく反対であるのを見るといい。
現在の日本は改進の方向に向かっている。「古風の忠は今日に適せず」と言う。時代は変わったのだ。「今日自主独立の教に於ては、先づ我一身を独立せしめ、我一身を重んじて、自ら其身を金玉視し、以て他の関係を維持して人事の秩序を保つ可し。」とまずは自分自身を大切にして他者との関係を求めるべきだという。福沢は今世の教育論者が古来の典経を徳育に使おうとするのを責めるわけではないが、それらの経書の働きを自然に公議輿論に合わせ、有効に機能させようと考えている。「即ち今日の徳教は輿論に従て自主独立の旨に変ず可き時節なれば、周公孔子の教も亦自主独立論の中に包羅して之を利用せんと欲するのみ。」として自主独立を柱に読み替えていくべきだとするのである。学校も含めて自主独立の輿論に従うのが智者の策だ、というのが福沢の言わんとするところだ。
2012年02月16日
2011年03月04日
手塚岸衛の自由教育論について7
四 自覚という方法
手塚は自由教育の方法として「自学」を挙げる。彼は「学校生活の何処を切取つても、自学自習の血が流れて居るやうに学校を改造しなければならぬのではないか、命令に依つてのみやらせるのではない」(二十五)と「自学自習」による学校改造を提言している。それは「子供の自学は自覚に基くもの」であり、手塚は「真の自学をなさしめようとすれば、子供の自覚に訴へなければなるまいと考へた」(二十六)のであった。
手塚は「方法としての自由、子供に自由を許す範囲が大なれば大なる程、子供の自覚を喚び起す範囲も大で、子供の自覚の範囲が大なれば大なる程自学が本当のものになって来る」という。いやそのことに「気附た」(二十七)のだという。自覚は自由と背中合わせである。自由が価値に従うことであり、そのことを自覚させていくのが自由教育の手法なのだというのが手塚岸衛の自由教育論の本旨なのである。
手塚の自由教育論は決して通俗的な自由論議の対象としては存在していない。その次元の「誤解や非難」につきあったために、否、通俗的な「誤解や非難」を生むような「自由」という言葉をその教育に冠したことがそもそものボタンの掛け違いを生んだのだと言えよう。
手塚の自由教育論には通俗的な意味での自由はほとんど見られない。前提には人間なら理性が導くであろう「普遍の価値観」が存在し、子どもたち自身に自覚させつつその価値観の方向に追い込んでいくのが、自由教育論の基本構造であった。上手く自覚させるのが教師の力量というものであったと考えられる。しかもその目標とする価値は実に曖昧であり、彼の論っているところを見れば、時代において支配的なイデオロギーに準拠したものでしかなかった。少なくとも通俗的な「自由」の次元で議論するほど自由なものではなかったと言えよう。
手塚は自由教育の方法として「自学」を挙げる。彼は「学校生活の何処を切取つても、自学自習の血が流れて居るやうに学校を改造しなければならぬのではないか、命令に依つてのみやらせるのではない」(二十五)と「自学自習」による学校改造を提言している。それは「子供の自学は自覚に基くもの」であり、手塚は「真の自学をなさしめようとすれば、子供の自覚に訴へなければなるまいと考へた」(二十六)のであった。
手塚は「方法としての自由、子供に自由を許す範囲が大なれば大なる程、子供の自覚を喚び起す範囲も大で、子供の自覚の範囲が大なれば大なる程自学が本当のものになって来る」という。いやそのことに「気附た」(二十七)のだという。自覚は自由と背中合わせである。自由が価値に従うことであり、そのことを自覚させていくのが自由教育の手法なのだというのが手塚岸衛の自由教育論の本旨なのである。
手塚の自由教育論は決して通俗的な自由論議の対象としては存在していない。その次元の「誤解や非難」につきあったために、否、通俗的な「誤解や非難」を生むような「自由」という言葉をその教育に冠したことがそもそものボタンの掛け違いを生んだのだと言えよう。
手塚の自由教育論には通俗的な意味での自由はほとんど見られない。前提には人間なら理性が導くであろう「普遍の価値観」が存在し、子どもたち自身に自覚させつつその価値観の方向に追い込んでいくのが、自由教育論の基本構造であった。上手く自覚させるのが教師の力量というものであったと考えられる。しかもその目標とする価値は実に曖昧であり、彼の論っているところを見れば、時代において支配的なイデオロギーに準拠したものでしかなかった。少なくとも通俗的な「自由」の次元で議論するほど自由なものではなかったと言えよう。
2011年02月26日
手塚岸衛の自由教育論について6
三 服従への道
自由教育論に対する「誤解や非難」が見逃しているのは手塚における自由と服従の関係である。
手塚は服従について四つ挙げている。それは自由、服従、屈服、盲従の四つである。手塚の説明とは逆に盲従から説明しよう。盲従とは手塚に言わせれば「無根拠の服従」のことである。これはその命令に対して何も考えずに従うことであり、現場にはしばしばそのように子どもに命令する教員がいることを手塚は匂わせている(二十二)。そして屈服は命令に対して異論があったとしても形だけ従おうとすることである。こういう行動を取る人を手塚は「横を向いた服従者」であると言う。
第二義の服従というものについては命令に対して自分も同意見であると納得して従うことであると手塚は言う。命令を受けていろいろ思ったにしても、「深く反省して見ると自ら斯くあるべきである」とその命令の正しさを認めればそれは単に服従と言うことができ、たいした問題にはならない。
そして服従の第一義である。
我々は自由が服従の第一義であると思ふ。服従とは自由の謂である。それは自ら立てて自ら律する。己の法則に我が従つて行く有様が、是れ即ち自由である。而してそれが真善美である。規範にかなつて行く有様が自由であります。即ち我が我に従ふ有様が即ち真の服従である。何故ならば普遍妥当の我に我自らを律して行くのでありますから服従でなくて何でありませうか。故に服従の第一義は真の自由であると考へるのであります。(二十三)
前項でも説明したように手塚は真善美という普遍の価値観を絶対視する。この価値観は人間が自由に選択すれば必ず到達する価値観であるから、その価値観に従う、つまり服従こそが真の自由なのだというだ。
しかも手塚は実際の現場では、「教師の命令が価値ある限り、教師がより高き意志を代表せる限り」屈従(屈服)や盲従を強いたとしてもかまわないとまで言い切っている。それは「自由とは価値に従ふの謂」による(二十四)。たとえ「万已むを得ぬ時」とはいうものの、教師の価値観の絶対性、教師と生徒の命令と服従の関係を手塚は容認しているのである。そのことは手塚の自由教育論を語るときにほとんど無視されてきたのではなかろうか。
自由教育論に対する「誤解や非難」が見逃しているのは手塚における自由と服従の関係である。
手塚は服従について四つ挙げている。それは自由、服従、屈服、盲従の四つである。手塚の説明とは逆に盲従から説明しよう。盲従とは手塚に言わせれば「無根拠の服従」のことである。これはその命令に対して何も考えずに従うことであり、現場にはしばしばそのように子どもに命令する教員がいることを手塚は匂わせている(二十二)。そして屈服は命令に対して異論があったとしても形だけ従おうとすることである。こういう行動を取る人を手塚は「横を向いた服従者」であると言う。
第二義の服従というものについては命令に対して自分も同意見であると納得して従うことであると手塚は言う。命令を受けていろいろ思ったにしても、「深く反省して見ると自ら斯くあるべきである」とその命令の正しさを認めればそれは単に服従と言うことができ、たいした問題にはならない。
そして服従の第一義である。
我々は自由が服従の第一義であると思ふ。服従とは自由の謂である。それは自ら立てて自ら律する。己の法則に我が従つて行く有様が、是れ即ち自由である。而してそれが真善美である。規範にかなつて行く有様が自由であります。即ち我が我に従ふ有様が即ち真の服従である。何故ならば普遍妥当の我に我自らを律して行くのでありますから服従でなくて何でありませうか。故に服従の第一義は真の自由であると考へるのであります。(二十三)
前項でも説明したように手塚は真善美という普遍の価値観を絶対視する。この価値観は人間が自由に選択すれば必ず到達する価値観であるから、その価値観に従う、つまり服従こそが真の自由なのだというだ。
しかも手塚は実際の現場では、「教師の命令が価値ある限り、教師がより高き意志を代表せる限り」屈従(屈服)や盲従を強いたとしてもかまわないとまで言い切っている。それは「自由とは価値に従ふの謂」による(二十四)。たとえ「万已むを得ぬ時」とはいうものの、教師の価値観の絶対性、教師と生徒の命令と服従の関係を手塚は容認しているのである。そのことは手塚の自由教育論を語るときにほとんど無視されてきたのではなかろうか。
手塚岸衛の自由教育論について5
(続き)
その普遍の価値観をつくる理性であるが、その理性の根拠は非常に薄弱である。「理性は斯くせねばならぬと云ふことであり、自然は何々であると云ふ事実である。」(二十)というだけであって、「斯くせねばならぬ」価値の体系については何も語られていない。ただ、手塚の列挙するものを見れば、先代萩の千松が毒菓子を食べて主君の身代わりになったこと、伯夷と叔斉が周の粟を食べるのを潔しとせずに餓死したこと、乃木大将の殉死などであり、いずれも何らかの理念によって敢えて自身の死を選択している。それらの例が「普遍の理性」であり、「人間性」であるというより、当時の時代を支配したイデオロギーのひとつであるとしか思えない。
そのイデオロギーを手塚は「真善美の規範」であると言い、「『価値の儘に行動する』(価値の儘は真善美の儘に行動する)と云ふことが即ち自由である」(二十一)とする。それを自由と呼ぶのは明らかに通俗的な自由の理解とは全く異なる。手塚はあくまで真善美という価値観(何を以て真善美とするかについては当時の社会において望まれている通念でしかない)通りに選択をすることを自由と呼んでいるのである。
その普遍の価値観をつくる理性であるが、その理性の根拠は非常に薄弱である。「理性は斯くせねばならぬと云ふことであり、自然は何々であると云ふ事実である。」(二十)というだけであって、「斯くせねばならぬ」価値の体系については何も語られていない。ただ、手塚の列挙するものを見れば、先代萩の千松が毒菓子を食べて主君の身代わりになったこと、伯夷と叔斉が周の粟を食べるのを潔しとせずに餓死したこと、乃木大将の殉死などであり、いずれも何らかの理念によって敢えて自身の死を選択している。それらの例が「普遍の理性」であり、「人間性」であるというより、当時の時代を支配したイデオロギーのひとつであるとしか思えない。
そのイデオロギーを手塚は「真善美の規範」であると言い、「『価値の儘に行動する』(価値の儘は真善美の儘に行動する)と云ふことが即ち自由である」(二十一)とする。それを自由と呼ぶのは明らかに通俗的な自由の理解とは全く異なる。手塚はあくまで真善美という価値観(何を以て真善美とするかについては当時の社会において望まれている通念でしかない)通りに選択をすることを自由と呼んでいるのである。
2011年02月25日
手塚岸衛の自由教育論について4
(続き)
それでは積極的自由とは何であるか。手塚は動物や植物が自然のままに生きている生き方と人間とはちがうところに自由の意味があると言う。自然のままに生きている動物は空腹を覚えればそこにある食い物を食う。そこに選択という余地はなく、ただ自然の欲望のままにそれを満たすのである。それゆえに動物には自由はないのだという。
それに対して人間は選択という行為を経て行動を決定する。それが積極自由なのだと手塚は規定する。空腹の時にそこに食べ物があったとしても、人間は食べるか食べないかの選択をする。食べることも選択できるし、食べないことも選択できる。それが積極自由だというのである。
手塚は「自由があるとは自己意識があることで、自己意識があるとは自ら知つて居ると云ふことである。知ると云ふことはどう云ふことであるかと云ふと、今選んだことに付て知るのみならず、他の選ばなかつた所の動機も選べば選ぶことの出来たものをこちらから見立てて選んだと云ふ時に、独り選ぶべきを選んだと云ふ自由を承知して居ります」(十七)とその理屈を述べる。人間は自己意識があるのでその選択することの何れの理由についても知っており、その知識の上で選択をするのだということである。だから「今決定した右の外に左に決定することも出来ると云ふことが含まれてゐる」(十八)という説明になる。食べなかったという選択をしたときには食べることを選択した場合のことについても知っている、ということだ。だから食べないという選択をしたのはその人間の積極的自由だというのだ。
ところで、その選択はどのように行われるかというと、まさしく「其の動力は即ち自由」(十九)なのだと手塚は言う。しかもその自由は何にもとづいてこの選択をするのかというとそれは「我の要求」なのだと言う。この「我の要求」を手塚は突き詰めていき、「普遍妥当、永久不変なる我」であり、「万人総ての人に共通したる所の我」であり、真善美という価値観もそこから生まれると言う。それを「理性」と呼び、「人間性」と手塚は呼ぶのだ。これを具体的に説明すれば(なぜか具体例を出すのが好きな手塚はここでは何も例示していない)、赤信号ならば停まるのは積極的自由によるものなのだ、ということになる。それは停まらないという選択肢もあり、停まらなければどういうことが起きるかを人は知っていて、理性なるものが停まらないという選択を避け、停まるという選択をした結果なのだ。だからこれは積極的な自由なのだ。というのが手塚の積極自由の理解である。そして手塚はこの積極自由こそが「教育の目的としての自由でなければならぬ」と結論づける。
どうと言うことはない。手塚の言う理性なり、人間性なるものは万人共通のものであるのだから、人間はその普遍の理性なり、人間性なりに従った選択をすることになる。そのように仕向けることが教育の目的なのだと言う。つまり、普遍の価値観を子どもたちの中に作り上げることが手塚の自由教育の目的なのである。
それでは積極的自由とは何であるか。手塚は動物や植物が自然のままに生きている生き方と人間とはちがうところに自由の意味があると言う。自然のままに生きている動物は空腹を覚えればそこにある食い物を食う。そこに選択という余地はなく、ただ自然の欲望のままにそれを満たすのである。それゆえに動物には自由はないのだという。
それに対して人間は選択という行為を経て行動を決定する。それが積極自由なのだと手塚は規定する。空腹の時にそこに食べ物があったとしても、人間は食べるか食べないかの選択をする。食べることも選択できるし、食べないことも選択できる。それが積極自由だというのである。
手塚は「自由があるとは自己意識があることで、自己意識があるとは自ら知つて居ると云ふことである。知ると云ふことはどう云ふことであるかと云ふと、今選んだことに付て知るのみならず、他の選ばなかつた所の動機も選べば選ぶことの出来たものをこちらから見立てて選んだと云ふ時に、独り選ぶべきを選んだと云ふ自由を承知して居ります」(十七)とその理屈を述べる。人間は自己意識があるのでその選択することの何れの理由についても知っており、その知識の上で選択をするのだということである。だから「今決定した右の外に左に決定することも出来ると云ふことが含まれてゐる」(十八)という説明になる。食べなかったという選択をしたときには食べることを選択した場合のことについても知っている、ということだ。だから食べないという選択をしたのはその人間の積極的自由だというのだ。
ところで、その選択はどのように行われるかというと、まさしく「其の動力は即ち自由」(十九)なのだと手塚は言う。しかもその自由は何にもとづいてこの選択をするのかというとそれは「我の要求」なのだと言う。この「我の要求」を手塚は突き詰めていき、「普遍妥当、永久不変なる我」であり、「万人総ての人に共通したる所の我」であり、真善美という価値観もそこから生まれると言う。それを「理性」と呼び、「人間性」と手塚は呼ぶのだ。これを具体的に説明すれば(なぜか具体例を出すのが好きな手塚はここでは何も例示していない)、赤信号ならば停まるのは積極的自由によるものなのだ、ということになる。それは停まらないという選択肢もあり、停まらなければどういうことが起きるかを人は知っていて、理性なるものが停まらないという選択を避け、停まるという選択をした結果なのだ。だからこれは積極的な自由なのだ。というのが手塚の積極自由の理解である。そして手塚はこの積極自由こそが「教育の目的としての自由でなければならぬ」と結論づける。
どうと言うことはない。手塚の言う理性なり、人間性なるものは万人共通のものであるのだから、人間はその普遍の理性なり、人間性なりに従った選択をすることになる。そのように仕向けることが教育の目的なのだと言う。つまり、普遍の価値観を子どもたちの中に作り上げることが手塚の自由教育の目的なのである。
2011年02月24日
手塚岸衛の自由教育論について3
二 手塚岸衛における自由
手塚は自由を消極的自由と積極的自由に区分して考えている。消極的、積極的という用法が手塚の言い分をあらわすのに適当かどうかはいささか疑問である。なぜならば彼に対する「誤解や非難」は通俗的な言葉の使われ方とのずれから生じているからである。この消極、積極という言葉も同様に通俗的な「誤解や非難」を受けやすい言葉のような気がするのである。
「消極的」というのを『広辞苑』には「ひっこみがちなさま」とある。しかし、手塚の言う消極的自由というのは多少趣を異にする。
…外界の拘束束縛に対して、発動する力が之を突破せんとする力を消極的の意味に於ける自由であると思ひます。一口に云へば、外部の拘束に反抗反対する力であります(九)。
外側から束縛されたときそれに反発する力を消極的自由と手塚は規定する。もっとも、そのように定義づけられてそれがなにゆえに「消極的」であるのか具体的な説明が欲しいところである。手塚はそれを鳥と籠にたとえて説明する。
…鳥が籠の中に監禁されたのであります。さうして此の鳥は要求して曰く、「我々は空中を自由自在に飛び廻ることが我々の本質である。故に我をして空中を自由自在に飛ばしめよ」と。其の時に籠と云ふものが一つの拘束である(十)。
鳥は空を飛ぶものである。その鳥が籠に閉じ籠められることによって飛ぶという自由を奪われているのであるから、籠を取り払うことが積極的自由なのだということである。さすれば、通俗的には籠から放たれた鳥は何処かへ飛んでいってしまう。そんなことをしてしまえば鳥は飼い主のもとを去ってしまうにちがいない。それが通俗的なものの見方である。
しかし、手塚の比喩は、鳥の要求は遠くへ飛び去ることではなくて重力や空気からの解放になる。ところがそのような自由の要求は鳥自身の「廃滅」となってしまうので「消極的自由は其の程度を超えるときは許すことは出来ない」(十一)と手塚はその許される範囲を定めている。「其の程度を超えて、本質を離れたる不合理なる要求に対しては、それは自由と云ふことは出来ない。凡そ政治上の自由と云ふやうなことはそれだと思ひます」(十二)と政治上の自由というのはそういう不合理な要求だと否定すらしているのである。そのような不合理な要求である政治上の自由、さらには結社の自由、言論の自由までも手塚は不合理なものとして自由教育とは異なると言い、「誤解が出て来ます」と弁明するのだ。自らの提唱する自由教育が現実の国家に対して危険な存在ではないことを主張するかのような弁明の仕方である。しかし、通俗的には籠を放たれた鳥は敵国にまで飛んでいくものであり、そういう危惧が「自由教育」への「誤解や非難」になっていくのだと思うが、手塚はそうは考えていないのである。
手塚は自由教育の方法はこの消極的自由に過ぎないという。
…不合理であると認める範囲の干渉束縛、つまり教育法の悪い所を打破しようとするのが自由教育の方法上の自由で、制限のある、程度のある自由で、其の限りに於て許される(十三)。
そして「今迄取来つた教育法が完然でない限りは、是れ以上の両方はないと云ふ教育法を取らざる限りはそこに改善すべき不合理なものがある」(十四)、すなわち鳥籠のようなものがこれまでの教育法というものであり、「それを破邪顕正して行く」(十五)のが手塚の教育法=自由教育だというのである。
そこで自由教育に対する「誤解や非難」である「子供の自由勝手にして置くことなんだらう」という「たいへんに間違つた攻撃」に対して「教育事実といふ前提内にあつて、如何にしてより能く教育すべきかと云ふことに付て自由を考へて居る」(十六)と弁明する。手塚にしてみれば「子供の自由勝手」は空気を否定する鳥と同じ教育の否定だと主張するが、通俗的な眼には何処か知らぬところに鳥は飛んで行ってしまうと思われたことであろう。
手塚は自由を消極的自由と積極的自由に区分して考えている。消極的、積極的という用法が手塚の言い分をあらわすのに適当かどうかはいささか疑問である。なぜならば彼に対する「誤解や非難」は通俗的な言葉の使われ方とのずれから生じているからである。この消極、積極という言葉も同様に通俗的な「誤解や非難」を受けやすい言葉のような気がするのである。
「消極的」というのを『広辞苑』には「ひっこみがちなさま」とある。しかし、手塚の言う消極的自由というのは多少趣を異にする。
…外界の拘束束縛に対して、発動する力が之を突破せんとする力を消極的の意味に於ける自由であると思ひます。一口に云へば、外部の拘束に反抗反対する力であります(九)。
外側から束縛されたときそれに反発する力を消極的自由と手塚は規定する。もっとも、そのように定義づけられてそれがなにゆえに「消極的」であるのか具体的な説明が欲しいところである。手塚はそれを鳥と籠にたとえて説明する。
…鳥が籠の中に監禁されたのであります。さうして此の鳥は要求して曰く、「我々は空中を自由自在に飛び廻ることが我々の本質である。故に我をして空中を自由自在に飛ばしめよ」と。其の時に籠と云ふものが一つの拘束である(十)。
鳥は空を飛ぶものである。その鳥が籠に閉じ籠められることによって飛ぶという自由を奪われているのであるから、籠を取り払うことが積極的自由なのだということである。さすれば、通俗的には籠から放たれた鳥は何処かへ飛んでいってしまう。そんなことをしてしまえば鳥は飼い主のもとを去ってしまうにちがいない。それが通俗的なものの見方である。
しかし、手塚の比喩は、鳥の要求は遠くへ飛び去ることではなくて重力や空気からの解放になる。ところがそのような自由の要求は鳥自身の「廃滅」となってしまうので「消極的自由は其の程度を超えるときは許すことは出来ない」(十一)と手塚はその許される範囲を定めている。「其の程度を超えて、本質を離れたる不合理なる要求に対しては、それは自由と云ふことは出来ない。凡そ政治上の自由と云ふやうなことはそれだと思ひます」(十二)と政治上の自由というのはそういう不合理な要求だと否定すらしているのである。そのような不合理な要求である政治上の自由、さらには結社の自由、言論の自由までも手塚は不合理なものとして自由教育とは異なると言い、「誤解が出て来ます」と弁明するのだ。自らの提唱する自由教育が現実の国家に対して危険な存在ではないことを主張するかのような弁明の仕方である。しかし、通俗的には籠を放たれた鳥は敵国にまで飛んでいくものであり、そういう危惧が「自由教育」への「誤解や非難」になっていくのだと思うが、手塚はそうは考えていないのである。
手塚は自由教育の方法はこの消極的自由に過ぎないという。
…不合理であると認める範囲の干渉束縛、つまり教育法の悪い所を打破しようとするのが自由教育の方法上の自由で、制限のある、程度のある自由で、其の限りに於て許される(十三)。
そして「今迄取来つた教育法が完然でない限りは、是れ以上の両方はないと云ふ教育法を取らざる限りはそこに改善すべき不合理なものがある」(十四)、すなわち鳥籠のようなものがこれまでの教育法というものであり、「それを破邪顕正して行く」(十五)のが手塚の教育法=自由教育だというのである。
そこで自由教育に対する「誤解や非難」である「子供の自由勝手にして置くことなんだらう」という「たいへんに間違つた攻撃」に対して「教育事実といふ前提内にあつて、如何にしてより能く教育すべきかと云ふことに付て自由を考へて居る」(十六)と弁明する。手塚にしてみれば「子供の自由勝手」は空気を否定する鳥と同じ教育の否定だと主張するが、通俗的な眼には何処か知らぬところに鳥は飛んで行ってしまうと思われたことであろう。

