2017年12月06日

文科省だけの問題かもしれないが

 講義のために学習指導要領を読み、その前の答申を読み、学習指導要領解説なるものを読み、頭がぐにゃぐにゃになりつつある。この夏に学習指導要領について論文を書こうと思ったが、挫折したのはこのどうしようもない悪文どもにつきあうのには余りに夏は暑かったからである。
 今、悪文と書いたが、どうして文科省関係者はこのように同じような似たような言葉を繰り返し繰り返し語順を変え、微妙に表現を変え、してだらだらと長ったらしい文書にするのであろうか。ここに引用して紹介したいが、引用するには長すぎるだらだらぶりであるから、それもできない。
 同じ単語が頻繁に使われている感じがするのでそこから見てみようか。『小学校学習指導要領解説 総則編』なる148頁(表紙も含む)からなる文書がある。これは「学習指導要領」の「総則」の部分だけの解説である。「総則」は「学習指導要領」の6頁~16頁までの11頁なので、その解説に14倍の紙数を費消しているのである。おそらく濃密な解説になっているのだろうとこれを繙いてみる。今回の改訂の目玉は「主体的・対話的で深い学び」であったから、「主体的」という言葉を検索してみた。そうしたら102箇所あった。ページをめくるたびに「主体的」という言葉に出くわすという感じだ。次に「資質・能力」を検索したらなんと153回登場する。1頁に1回以上出てくることになる。さらに「よりよい」という形容詞を検索すると41、「よりよく」という副詞は21。つまり、「よりよい」「よりよく」が62箇所に登場するのである。「豊かな」という形容詞も60、頻繁に出てくる。相当に耳障りなのである。ふつうまともに文章を書いた人ならば同じ形容詞は繰り返し使わないものだ。しかし、「よりよい」とか「豊かな」という形容詞は学習指導要領の中で重要なキーワードとなっているらしいので言い換えはしないのであろう。しかし、「よりよい」とか「豊かな」という実に主観的で且つあいまいな形容表現が「文科省用語」として流通しているのである。動詞では「求められる」が78回出てくる。ちなみに「三つ」という数詞も30箇所あった。
 もちろん均等に登場するのではない。密度の濃いところは濃いだろう。殊に形容詞が多いのは耳に触るところが大である。
で、学習指導要領もたいへんなものだ。

 「総則」の「第2 教育課程の編成 1 各学校の教育目標と教育課程の編成」の冒頭である。
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 教育課程の編成に当たっては,学校教育全体や各教科等における指導を通して育成を目指す資質・能力を踏まえつつ,各学校の教育目標を明確にするとともに,教育課程の編成についての基本的な方針が家庭や地域とも共有されるよう努めるものとする。その際,第5章総合的な学習の時間の第2の1に基づき定められる目標との関連を図るものとする。
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 まず、「教育課程の編成に当っては~」と始まる。教育課程を編成するときに注意しなくてはならないことが述べられるのだろう。それは、「①○○を通して」「②○○を踏まえつつ」「③○○とともに」「④教育課程の編成についての~」という構文である(便宜上①~④の目印を付けた)。
 「通して」「踏まえつつ」「とともに」という修飾的文節を除けば、「教育課程の編成に当っては~④教育課程の編成についての基本的な方針が家庭や地域とも共有されるよう努めるものとする。」という文なのだ。しかも、これに「⑤○○との関連を図るものとする」という修飾がくっつく。④が主たる文節かといえば、そうでもない。なぜなら「基本的な方針が家庭や地域とも共有される」と「とも」という助詞がついているから「基本的方針」のしっかり座っている場所が見当たらないのである。
 肝腎の「基本的な方針」はどこで作られるのであろうか。それは①~⑤の修飾部分のことなのか、続きの「2 教科等横断的な視点に立った資質・能力の育成」ないしは「3 教育課程の編成における共通的事項」に書かれていることなのか、その辺りはよくわからない。ここ以外に教育課程の基本的な方針に言及しているところはない。
 とするとやはり①~⑤の中に方針を求めることになるが、「通して」も「踏まえつつ」も「とともに」も、そして「関連を図る」ものも基本的な方針に添えられる位置づけだから困ってしまう。本体がないのだ。基本的方針として何を立てるかについて明示されていないので、読む方としてはいろいろと忖度しなければならなくなるのである。
 困ったときには「解説」を参照しよう。「小学校学習指導要領解説 総則編」ではまず次のようにこの項目の意味が解説される。
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 本項は,各学校における教育課程の編成に当たって重要となる各学校の教育目標の設定と,教育課程の編成についての基本的な方針の家庭や地域との共有,総合的な学習の時間について各学校が定める目標との関連について示している。
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 先ほどの構文が崩れる。「通して」「踏まえつつ」「とともに」そして「関連を図る」という要素はそれぞれ位置づけがずれて説明される。「①通して」とされた「各教科等の指導」と「②踏まえて」なされるべきであった「資質・能力」は削られてしまった。
 そして、重要なのは「③各学校の目標設定」となっている。そして「基本的方針」は「とも」ではなく「との」共有関係に落ち着いてしまった。さらには「総合的な学習の時間の目標と⑤関連を図る」のは「基本的な方針」ではなくて、「各学校が定める目標」に変わってしまった。
 それでも解説になっているのは元の学習指導要領の文章も、解説の文章もとくに重要なことは言っていないということなのであろうか。もしくはこのように煙に巻くような叙述でしか言いようのない曖昧な内容なのか。
posted by 新谷恭明 at 23:56| Comment(0) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする

2017年10月26日

ボツになった教材

 そう言えば、昨日『ぬくもり』の部落史教材を完成させたことを書いたが、同時にその前に書いたのがボツになったということでもある。で、その教材は『吉田先生』という。しかし、教材として焦点を絞ったり、いろいろ具体的なものを加えたのが、『吉田先生 修正版』だ。どっちがいいかな。
posted by 新谷恭明 at 01:15| Comment(0) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする

2017年10月25日

解放令から水平社までの50年

 前に紹介したが、解放令から水平社の結成に至る50年の歴史を学ぶための物語風の教材を作ったが、現場からの声として、「社会科の一部で教材として使うのに時間がとれない」というような声も聞かれ、また、その授業をしていく教師の側に部落史の知識が補填されていない、などという状況があることなんかが作業部会で出てきたという。で、それならば、平板ではあるが部落史の概観を記述する形式にして、史料なんかも随時引用する形にしようか、ということで新しいものを作り直すことにした。
 ①近世の身分制度、②解放令、③新政府への反発と竹槍一揆、④被差別部落が生まれる、⑤部落改善運動、⑥なくならない差別、⑦人間を尊敬すること
 という章立てで作成した。前夜の作業部会では①は教材としては外す、⑤を少し削って整理する等の手を加え、ビュジュアルな資料を貼り付けるということしていただき、なんとか完成した。
 さらに裏づけとして教員が学習するための概説をテキストに準拠して作成した。こちらは指導の手引に入れるかちがった配布物にするかは検討委員会・事務局で考えることとした。
 検討委員会では思ったより評判がよく、教員向け概説もなるべく多くの教員に見てもらえる配布方式にしたいということで、いい結果になりそうである。しかも、小学校のほうからも「欲しい」という声が出た。それは小学校では全教員が6年生(歴史を教える)を担任する可能性があるので、全教員に持っておいてほしいということだった。
 ともかく、解放令から水平社までの部落史の空白をまがりなりに埋める教材は全国的にも初めてだろうと思う。殊に竹槍一揆(新政反対一揆)、部落改善運動など、「負」の遺産として説明しにくいと考えられ、教材化を躊躇ってきた傾向は現場的にはあったと思う。近世〈身分社会=被差別状態〉⇒解放令〈やった〉⇒水平社〈よき日のために〉という右肩上がり史観が教えやすかったのだろう。それが50年の空白を産んだ原因かもしれない。
 しかし、歴史というのは残酷なもので常に正義が勝つというふうには進展しない。それならば水平社を設立する必然性はなかったことになってしまうからだ。解放令のような1編の法で問題が解決するわけがない。だから水平社ができたわけだから、その間に問題は溜まっていたはずなのだ。そこで問題になるのは差別の本質と政策や自主的運動の行き違い、社会運動の勃興からの影響などであり、それがなければ水平社の成立の意味はわからないし、子どもたちにも伝わらない。
 解放令は賤称を廃しただけであって差別の本質には入り込めなかった。いや、法律とはそういうものだろう。その法律を武器にしてどのように闘うかがたいせつなのだ。それゆえに解放令後の庶民の差別的な動きが『横田徐翁日記』に見られる。これは福岡の独自の史料として貴重であったし、その価値を発見した石瀧豊美さんの功績は大きい。
 竹槍一揆にはいわゆる人民の(一揆を起こした農民たちの)守旧的思考と、その中に含まれる差別意識の噴出が象徴的に現れている。現場ではどうも〈新政府の悪政に苦しむ農民たちが一揆を起こした〉はずなのに〈一揆勢が旧えた村を焼き討ちにした〉ことの説明がつかなかったらしい。これは古い人民史観の影響だろう。僕は以前から講義では使っていたのが、玉城肇『日本教育発達史』の既述だ。そこには北条県での一揆について、民衆(一揆勢)は「『徴兵令、小学校並に太陽暦廃止』を目的として、・・・・その沿道で民家を焼き払い、小学校を破壊し、・・・寺院と学校をおそった」と書いている。これは当時の新聞記事を下敷きにしていると思われるのだが、新聞記事を見ると「民家」は「穢多の家屋」となっている。明らかに解放令反対は一揆勢の主要な要求項目であったと言えるのだ。玉城氏は民衆が民衆を襲うという不都合な史実を意図的に削除したと思われる。
 福岡の竹槍一揆研究も以前はそのような民衆史観で構成されていたために、辻褄の合わない評価がされていたのだが、このあたりも石瀧氏がきっちりと批判してくれている。
 と言うことで、今回の教材はその視点を入れた。差別は民衆の中に起こる現象なのだ。近代産業から排除されることで生じた部落の貧困化に伴う「スラム」化、そのことによる「特殊部落」の誕生、部落改善運動なども部落史授業では黙殺されてきた。〈被差別部落は昔から貧困だった〉というような思い込みが一部にはあったのかもしれない。それはいわゆる「近世政治起源説」と落としていったものでもあろう。
 しかし、近世の身分制社会は身分と特権は抱き合わせになっている。だからえた身分にはえた身分の特権というものがあった。もちろん、身分制社会であるから人権という概念はない。人権は近代市民社会に於いて成立した合意なのであって、人類の知恵によって作為的に生み出されたものである。その概念は明治以降日本に流入したものである。それを法的に示したのは解放令ではなかったか。だから差別という言葉は解放令以降に使われるべきものだと考える。
 一方、解放令は身分の枠を取り外した。身分制度を廃止したのである。士族も平民もそして「新平民」も対等の立場に立たされたのである。そして自由競争が始まったのだ。問題はここから自由競争、資本主義の論理で階層の再編が行われる。このとき近世の身分制の慣行が機能するのだ。近世の賤民身分は身分外の身分として位置づけられていた。要するに社会の仲間はずれなのである。それは自由競争の時に競争に参加させないことで機能したのである。〈被差別部落が貧困である〉というのは近代に始まった事象だとも見ることで問題解決の糸口は見えてくるのである。
 話を戻そう。
 今回の教材では「特殊部落」=被差別部落が解放令以後に誕生したということを入れた。つまり部落差別は近代日本の責任だということになる。そこで、被差別部落をなくしたい、部落差別をなくしたいと明治政府は考えざるをえない。それが政策的には地方改良運動に部落改善運動を取り込んでいくという過程になるだろう。それらが権力側の慈愛によるものであったとしても、そのことを責めるのは筋違いである。しかし、授業としては教えにくかった。部落改善運動の欺瞞を突くのは簡単である。それは現在の視点での物言いであって、この時期に善意の関係者には想像がついていなかっただけである。
 このかんに被差別部落の人間には差別の本質にかかわる思想的な深まりがあったのだ、とかっこよく書いてみるが、生活環境の改善だけでは差別の本質、つまり部落民を同じ権利の主体とみない発想にそれらの施策も運動も見合っていないことに気づいたのである。福岡では博多毎日新聞社事件というものが象徴的に示している。それも教材にあげた。それなりに暴力事件であるから掲載を躊躇う意見もあったようだが、かつて「ぬくもり」の第一版編集の中心にいたIさんが「これは水平社に繋がる重要な史実だ」と言って残ることになった。こうした過程は「なくならない差別」としてまとめた。
 そして水平社の設立については「人間を尊敬すること」と題して、水平社宣言の学習を入れた。「人間を尊敬すること」というのは宣言の中に書かれている言葉である。それは人権を制度的に考えていくときにもっとも重要なことであろう。
 まあ、完成を楽しみにして欲しいが、福岡市以外の人たちの目に触れにくいのが残念である。
posted by 新谷恭明 at 12:09| Comment(1) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

部落史授業の空白の50年

 部落史の教材をつくった。cat.jpgこの俺が
 某人権読本に部落改善運動の教材を入れることにした。部落史に関しては解放令の制定から水平社の結成までの50年間は空白の50年となっている。途中、学ばなくてはならないことは多い。しかし、研究自体も進んでは居ないのが実情だ。
 なぜならば、前近代は身分制度の中での被差別身分の研究ということでそれなりに成果はあがっていると思うのだが、近代史ではほめることが水平社運動くらいしかないので、というのが言い訳のようだ。
 なぜ、貧困化に陥ったのか。いわゆるスラム化による「特殊部落」の形成という観点での研究はあった。被差別部落なるものは近代において生まれたものだという見方だ。それは正しいと思う。しかし、これまでの民衆史的視点から見るといいことのない歴史にしかならないのであろう。「元気が出る」「村のこどもが顔を上げられる」そういう授業にならないとこまる。そういう現場的な思い込みが何かを踏みとどまらせているのではないだろうか。
 そうこうしているうちに部落史はおろか部落問題そのものを知らない教師たちが増えているとも聞く。それならば「顔を上げられない」ほど部落問題を意識している子どもたちが、差別する側にもされる側にもどれだけいるのだろうか。このあたりになると教師も運動体も積極的な発言が非常に乏しくなる。日頃、教育現場にいない我々研究者にとっては困った事態になっている。もしかすると「顔を上げられない」子どもたちというのは、「同和」教育運動が展開し始めた頃の子どもたちのことであって、その後の歳月の中で子どもたちの意識は随分と変わっているのではないかと思うのである。なにしろ誰も情報をくれないのだ、とぼやいてもしょうがないか。
 それはさておき、なぜ部落史の授業に50年の空白があるのか。まずは先ほど触れた貧困化は基本的に負の歴史になるので「元気が出ない」ので授業しにくいということ。部落改善運動は自己責任や恩恵主義が水平社運動とそぐわないので教えにくいということなんかが理由なのではないかと思われる。何しろ水平社宣言で「これ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である」と改善運動のような運動を否定しているから尚更である。
 しかし、そうではない。部落=地域を住みよくしようということは決して悪いことではないはずだ。そう思って、某運動体の役員の方に聞いてみたら、
「確かにそういう改善運動をしてきた歴史はあるし、それ自体はまちがってはいない。そして水平社運動とは別のものだと思う。但し、史料はない。」
というような答を得た。
 暮らしをよくしようということが悪いはずはない。なぜそれを水平社宣言は批判しているのか。それは部落をいくらきれいにしても、経済力をつけても、道徳的に高めたとしても、そのことは差別の解決にはならなかった。そしてそのことを目的とすると堕落した、ということに過ぎない。
 で、やむを得ず自分で教材をつくってみた。ネタとしては『福岡県教育会々報』に掲載されていた部落改善運動の報告書を使った。
 解放令のあと、新政反対一揆があり、この中で解放令反対もスローガンに入っているし、各地で被差別部落の焼き討ちも行われている。これにちょっと触れる。その後貧困化が訪れ、差別が顕在化する。そこに学校の教員が入り込んで改善運動を起こすという解放令以降40年をざざっと叙述し、それでも差別はなくならなかったということで、生徒達に差別とは何かについて考えさせる物語だ。
 教材の中で「差別」という言葉は使わなかった。「仲間はずれ」という言葉でさりげなく触れた。さりげない「仲間はずれ」が深刻な差別であるということが重要な気づきになればいいのだと思うのだが、
〈差別を告発する〉
強い口調がないと何を伝えていいか理解しにくいらしい。その説明のための資料もつくるように言われている。なぜ「差別」という言葉を使わなかったか。元の史料に使われていないからである。教育会の会報に乗せた教師の文章はこうである。
「中に何故とも知れず、寂しさうに壁に倚凭つて、多勢の児童が歓び戯れる有様を眺めながら立つてゐる一団がある、可愛さうにも唇を噛みしめながら、勇気を出せ………懼れるな………と言てやりたい顔つきで、人知れず暗涙にむせんでゐる父兄もある、これぞ彼等の境遇と知るもの誰が一掬の涙を濺がざるべき。嗚呼、何故に我等ばかり卑められたり辱められたりするのであらふ」
 要は仲間はずれなのである。子どもだけではない。親たちもそうなのが部落差別なのである。この時期に「部落差別だ」とは彼らは叫んでいない。それは後世の運動から言わせる言葉であって、それをその状況で言わせたら歴史の捏造になってしまう。「同和」教育運動は一つの運動だから、運動としては差別と闘うのは正しい。しかし、歴史をねじ曲げてしまってはいけないのだ。それは今の子どもたちの状況の説明でも言えるのだが、それはまあいい、措いておく。当時は「仲間外し」であり、実はそれが差別の本質なのだということを生徒達は主体的に、対話的に深く学んでほしいのである。ていうか、教師たちが生徒にそう学ばせてやってほしいのである。
 しかたがない。近代部落史のアウトライン(新谷史観だ、文句あるか)、授業の展開例までつくらないかん。それと連載の原稿、それと福岡市人尊協の講演準備。そんなのをこの週末の台風の中でやらねばならぬ。自分の体力・能力(仕事が遅い)を超えた仕事量だ。嗚呼、今夜も夜中を過ぎてしまった。
posted by 新谷恭明 at 00:31| Comment(2) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする

2017年03月10日

女子大生は本を読まない?

 先ほど紹介した大学生協連合会の読書時間調査で面白いのは、男女別のデータである。

男女別読書量

 男女差を比較するなんていうのは、男女共同参画の時代に問題ではないか。というのが最近の傾向だが、データに顕著な数値がついてくれば、その意味は性差別を改称するためにも必要なことであろう。この表を見ると2005年までは女子のほうが読書時間が長かった。前回紹介した1960年の記事では「男女別で見ると、女子のほうがいくらか読書人が多く」とある。子細は元になっている日本読書学会『読書科学』31号を探してみてくれればいいが、その傾向が続いていたのか、あまり意味をもなかったのかは途中のデータも見なければわからないからなんとも言えないだろうし、あえて論じようとも思わない。
 問題はその後である。2006年で女子の読書平均時間数が男子と逆転して下回り、読書時間ゼロの数値も2008年に女子が男子を抜き、その差は開いている。そして2016年には女子の読書時間は限りなくゼロに近くなっている。
 2015、2016年とこの問題に関して数値が急激に悪化しているのは女子の数値の変化に依るものであると思われる。これはデータをとるときに何か事故があったか、さもなくば男女共同参画もジェンダーフリーもなんのその、女の子が莫迦な女に堕ちていっていることを示してはいないか。信じたくはないが、【図表21】の右端の意味を理解しかねている。
posted by 新谷恭明 at 16:27| Comment(0) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする

本を読まない大学生

2月24日付の朝日新聞に次のような記事が載っていた。
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 1日の読書時間が「0分」の大学生は約5割に上る――。全国大学生活協同組合連合会(東京)が行った調査でこんな実態が明らかになった。一方、スマートフォンの利用時間は増えた。調査は毎年行っており、全国の国公私立大学30校の学生1万155人が回答した。
 1日の読書時間が「ゼロ」と回答したのは49.1%で、現在の方法で調査を始めた2004年以降、最も高かった。平均時間も24.4分(前年比4.4分減)で、04年以降で一番少なかった。読書の時間が減る一方で、スマートフォンの1日あたりの平均利用時間は161.5分と、前年より5.6分増えた。
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 1日の読書時間ゼロがほぼ大学生の半分。2004年以降の最高値だという。しかし、驚くべきことだろうか。
 これは全国大学生協連合会の調査によるものだ。データはHPを見ればいい。

http://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html

 読書時間に関しては2004年度からのデータのようだが、それでも13年間の変化は見て取れる。読書時間ゼロという数値と30分以下の数値を足すとほぼ50%前後で推移してきた。この読書時間の表を見るといい。生協HPの【図表20】から作成したのだが、「30分も読まない学生」の数は一貫してあまり変わらなかった。変わったのはこの1~2年だということだ。上昇傾向はこの5年くらい見られなくはないが、急に変化している現象であり、まあ、「ゆとり世代」と重ねてみる安直な分析がしやすいのかもしれない。
 しかし、2010年にはゼロの学生は最低値を示していたことを考えれば、早急に答えを出せる数字ではないと思われる。学生が本を読まないことを嘆くのは今にはじまったことではない。1960年8月30日付の朝日新聞のコラム「季節風」では「近頃の青少年は本を読まなくなったというのが、むしろ定評のようになっているが、はたしてどうであろうか?」と書き出している。この疑問文の書き方は逆説的であり、「世間で言われる以上には読んでいる」という答えを想定しているのだろう。いずれにせよ、60年安保を闘った先輩諸氏には不本意な言いがかりに聞こえるだろう。
 現在の大学生の親くらいになるのだろうか、1985年1月29日の朝日新聞では「意外!?学生は本が好き」というタイトルの記事を掲載している。先述のデータを出した大学生協連合会の調査を元にした記事だ。大学生の読書に対する意欲は高く、一日の読書時間は56分と「81年の48分を底に、少しずつふえてきている」とまとめている。この評価に対し、中野収(法政大学教授)は「学生は専門書を自力で読もうとしない」「60年代までは、大学生は大衆的なスタイルを持ちながら、専門書も読んだ。高級な本と大衆的な本とが両立した幸福な時代が70年の紛争を境に崩れている」と感想を述べ、安江良介(『世界』編集長)は「将来のテクノロジーの命運を担っているはずの理科系の学生の間で、読書は必要ないという傾向は強まっている」と読書無用論の登場を指摘し、「二、三十年先を考えると、こわいことではないか」と怯えているが、三十年後の現在いかがであろうか。
 ただし、この間に、1985年の大学進学率37.6%が56.6%へと20ポイント近く増大していることを忘れてはならない。ちなみに1960年の大学進学率は10.3%に過ぎない。この数値を同じ読書層としてカウントすることはおそらくまちがいであろう。仮に1960年の大学生のうち読書時間30分未満の者がほとんどいなかったとしても、当時の学生は現在の学生の20%に過ぎない。ということは最近の本を読まない大学生とは1960年当時は大学に進学しなかった青少年の問題であり、1985年ですら半分くらいに割り引いてあげなければならないのである。
 さらにそれに加えて「本なんか読む暇があるなら、その間に受験勉強をしろ」というようなかつてはなかったアホな教師による受験指導がまかり通り、そうした指導を受けた生徒たちがもっとアホな教師となってそれをより確信を持ったものとして子どもたちに伝えている現在の教育状況である。そういう状況をかいくぐっての学生諸君は、まだがんばっているとは言えまいか。
 もう少し突っ込むと、60分以上本を読む大学生は20%程度はいる。56.6%のうちの20%は率で言えば1960年頃の大学進学率に相当するし、60分というのは1985年の大学生の平均読書時間を上まわっている。大学生についてはそんなに心配する必要はないのではないだろうか。読むやつは読んでいるのだから。問題は先ほども書いたように、「読むな」という指導をする教員が増えてくることや、読書を強いる訳知り大人の横暴だろう。「本を読め、近頃の若い者は本を読まないからダメなんだ」というようなことをしたり顔で言われて楽しく読書生活に入れるであろうか。そんな訳知り大人たちも若い頃は「本を読まない」だの、「軽い本しか読まねぇな」という悪口を言われ続けてきた。もっと本を読んだら面白いぞ、という風潮を若者たちと共有すべきではないか。

 ついでに。どうせ言うのならば、日本国民の読書時間について議論すべき時期に来ているのではないだろうか。大学生はもはや日本の先端の〈知〉を測定するモノサシにはならないからである。

 参考までに。書籍の出版点数は増えているが、部数は1990年代から減少の傾向にあることが関係団体のでデータでわかる。書籍の生産意欲は増しているのだが、なかなか売れないというのが現状なのだろう。
http://www.1book.co.jp/003191.html

 
posted by 新谷恭明 at 15:59| Comment(0) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする