2018年04月23日

在日

 先日、金曜の早朝1限目の講義の後で
「わからないことがあるので、3限目に聞きに行っていいですか?2限目は講義があるので。」
と1人の学生が言ってきた。もちろん問題なくOKだ。本学にはオフィスアワーといってその時間はいつでも質問に答えられるという時間が設定されている。僕の場合は月曜の午前中なのだが、その時間に誰かが来たという記憶はない。
 ドアの前にも、オフィスアワーについて掲示せよとお沙汰があったので、

オフィスアワーは月曜の午前中です。
早めのお昼御飯に出ていることがあります。その時は食堂を探してください。
授業準備のために印刷室にいることがあります。何せず声をかけてください。

 と書いておいた。で、今それを再確認したのだが、僕の講義2科目は月曜の午後にある。ていうことは講義中の疑問を解決するためには一週間待たねばならないのか。いやそれはおかしいだろう、というので大学のHPには
「オフィスアワー以外でも研究室にいるときは対応しますのでお気軽にどうぞ。」
という但書とメルアドを付してある。
 いずれにせよ、学生の疑問は即決しなくてはならない。この但書もドアに貼っておかねば、と今思った。
 それはさておき、この学生は非常に熱心なのでオフィスアワーなど面倒なので、即行で申し入れてきたわけだ。なかなか見所がある。僕は2限目に事務的な作業やちょいとした用事を済ませ、早めの昼食を摂り、パソコンに向かっていた。
 何か気配を感じた。そしてグハハッという自分の喉の奥から発する声を聞いた。はっとして目を開けると研究室のドアが10㎝ほど開き、何者かが、覗き込んでいる。いや、なんだ、その。
 もはや夢魔ではない。現実に誰かがそこに来ている。脳に呼びかけた。
「おい、目覚めるんだ!」
 まあ、いい。その人物が1限目の終わりに声をかけてきた学生であることに気づくまで3秒ないし4秒はかかってしまった。
「どうぞ、いやいや、不覚にも眠ってしまった。」
などといいわけをしつつ、学生を招き入れ、
「コーヒー飲む?」
「あ、いえ・・・」
「いや、僕が飲みたいのでよかったら。」
「はい、いただきます。」
と若い人は気持ちいい。で、コーヒーメーカーをしつらえて質問タイムとなった。質疑に対する応答は対話へと発展し、僕は翌週の講義の内容まで引用して語っていた。できあがったコーヒーを注ぎ分け、眠気が飛んだ頃には話はずいぶんと盛り上がっていた。
 一時間も過ぎた頃だったと思う。僕が会話の中に〈在日〉という単語を交えて話をしていたときのことである。「人権と社会」という講義なので、当然差別・被差別のことが中心になり〈在日韓国・朝鮮人〉のことも話題となる。そしてこの応答の間には何度も出てきた言葉であった。
突然、新しい質問が出た。
「〈在日〉ってなにか悪いんですか。よく芸能人の誰それは〈在日〉だとか、なんたらの誰それは〈在日〉だとか言う人がいるので」
 ふむ。ちょっとした驚きだ。この学生は〈在日〉なる言葉は何か悪いものに貼るレッテルのようだと感じてはいたが、その意味がわからなかったようだ。
 で、このように答えてみた。
「もしあなたが留学とか、就職とか、移民とかでアメリカに住み着いたら、〈在米日本人〉と呼ばれる。それと同じ」
「えっ!それだけですか」
「歴史的事情はいろいろあるけれど、基本的にはそういうこと。」
「えーっ、よかった。知らないままだったら差別するところだった。」
 そうなんだ、〈在日〉という言葉は指定された人を貶める言葉として機能しているのだ。そして意味を知らないとそのまま差別という行為に入ってしまう。この学生にはいいことを教わった。レッテルの意味を正確に学んでもらわなくてはならないのだと。それから、なにかと〈在日〉レッテルを貼りまくったり、出自を嗅ぎまわったりするネトウヨ諸君も自分が国境を越えた瞬間、そのような異邦人として扱われることを覚悟するのだな、と。
 それはともかく、〈在日〉という言葉は差別をしたい人がそのターゲットに付ける目印のようなものとなっている。だから、その目印を付けることの意味の無さをまずは知るべきなのだろう。それといろいろな人に〈在日〉とレッテルを貼りまくっている人たちと〈同類の日本人〉とは思われたくないし、〈日本人〉はみんなそういうものだという印象も世間にばらまかないでほしい。
posted by 新谷恭明 at 11:18| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年03月09日

どうでもいい話

Facebookにどうでもいい話をだらだらと書いてきた。なのでどうでもいい話をまとめて読みたい人のためにどうでもいい話をまとめてみた。
『どうでもいい話』
posted by 新谷恭明 at 13:28| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

紀元節

2月11日は紀元節でありました。筑豊青年部の学習会でお話をしてまいりました。
当日の史料です。歴史を知らなければ騙される。聞くところによると明治節を復活させたい連中も出てきたそうな。
同志諸君!闘おうぜ!

学校と儀式と君が代と
学校と儀式と君が代と史料
学校と儀式と君が代と
posted by 新谷恭明 at 14:31| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年12月21日

長いものには・・・という価値観

 『朝日新聞』によると米軍普天間飛行場近くの保育園に連日、中傷メールや電話が舞い込んでくるのだそうだ(「米軍ヘリ部品発見の保育園、中傷メール・電話が相次ぐ」『朝日新聞デジタル』2017年12月16日11時55分 小山謙太郎署名)。記事からメールや電話の内容を抜き取ると、「自分たちでやったんだろう」「教育者として恥ずかしくないのか」「自作自演だ」「そんなところに保育園があるのが悪い」というようなものらしい。
 さらに翌日の記事には同じ宜野湾市の小学校にも「事故はやらせではないか」「沖縄は基地で生活している。ヘリから物が落ちて子供に何かあっても仕方ないじゃないか」「沖縄人は戦闘機とともに生きる道を選んだのだろう」という内容の中傷電話がかかってきているという(「仕方ない・やらせだ・・・中傷電話、ヘリ窓落下の小学校にも」同 2017年12月20日1時42分)。
 日本の文化の中に、というより日本人の生き方の中に「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」というようなものがあるような気がしている。それはずっとずっと前の頃から感じていたことだ。ただ、「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」と言い聞かせておとなしくしているのならば、それはそれでとかく責めようとは思わない。自分もまたそのようにして人生の過半は過ごしてきたからだ。
 しかし、理由を深く考えずにともかく権力に近い方からの空気を察して異論を攻撃する人たちが常に保守派にいる。かつて、某市で有害な化学物質について、環境保護派の議員から意見が出されたとき、保守派の議員から「そんなものは考えすぎだ。」「気にしすぎだ、安全なのだ」という意見が出された。しかし、政府が内分泌攪乱物質いわゆる環境ホルモンの害を指摘したところ、ころりと態度を変えて来たとともに、「あれは悪かった」と謝罪してきたそうな。
 こういうタイプの人はそれなりに人生経験を積んできたと思われる人たちにもけっこういる。おそらくはそのように権力ないしは(上)に阿て生きてきたのだろう。以前の職場にも多々いた。自称する知的レベルとも関係ないようだ。心のレベルの問題なのだ。
 こうした人たちは実に熱心に根拠なく権力側の代弁をしてくれる。そして権力側が見解を変えると狼狽えて自分もまた乗り換える、というふうにだ。安倍政権が沖縄いじめをしている現在、芸人には会っても、知事とは忙しくて会えないといういかにも中学生のいじめと同じ手口のいじめをしている現在、これに便乗するのがこうした手合いの連中だ。
 こういう「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」という生き方は日本人だけではないようだ。小熊英二が「弱者への攻撃 なぜ苛立つのか」(『朝日新聞』論壇時評 2017年12月21日)が木村忠正の発言を牽いて説明している。ヘイトスピーチのような弱者いじめは彼らがマジョリティとして満たされていないと感じているからなのだという。そうなのだ。彼らは常に満たされていないから弱い者に当たるし、自らの弱点は権力の後ろ盾でなんとかしようとする。そのようにしか生きてこられなかったのだ。
 例えば、安倍首相と加計学園の問題を採りあげると、「もうそんなことは議論する必要はない」と批判をつぶしにかかる方々がいる。そういう人たちはしばしば清廉な人たちでもある。ご自身は何の利権も得てないのに利権で潤っている人を庇おうとするのはなぜだろうか。それは彼らが清廉であるからなのだろう。清廉であるが故に清貧に甘んじてきたから、さらに弱い人たちが権利を主張するのが許せないのだ。
 小熊はドイツや中国にもそうした行動様式があることを指摘し、日本に限った事象ではないことを説明し、彼らのいらだちを弱者に向けるのを押しとどめることを提案している。僕もそう思う。
「あなたは利権を得ていない。わたしも得ていない。だからそれはわたしたちの利益の問題ではなくて、安倍の利益の問題だ。」「沖縄によってあなたは何の利益も得ていない。だからあなたが沖縄を責める必要はない。アメリカと安倍の利益の問題だ。」
 
posted by 新谷恭明 at 14:14| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

2017年06月23日

人権教育再考

福岡県人権研究所の機関誌『リベラシオン』にこんな原稿を書きました。

「人権教育再考」

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posted by 新谷恭明 at 11:24| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする