2017年07月22日

佐々木盛雄『天皇制打倒論と闘ふ』第二章④

 今度は「法律的主権在民を主張する論」だ。「民主々義を観念的に定義し、天皇制は民主々義と絶対に相矛盾するが故に、これを廃止せよと云ふ論がある。そしてこの天皇制廃止論の基礎となす民主々義の定義は、リンカーンの『人民の、人民による、人民のための政治』といふ概念である」とこの説の概略を紹介している。それは「政治の主体が人民であるといふ意味」であり、「人民の福利安寧を目的とする政治、従つて一特定人の利益や、一階級の利益を目的とする政治ではない」とまとめる。だから「主権在民」と「天皇制の観念の中にある『主権在君』とは、根本的に調和しない」とするのが、この論の論旨だとする。
 としたところで、佐々木は「然しながらわれわれは、斯くのごとき幼稚なる処世論に賛成するわけには行かぬ」と反論を始める。その基本的思考の柱は「主権在民は民主々義の要素であることに異論はないが、然し、われわれの云ふところの主権在民とは『実際的政治的意味』に於ての主権在民であり、『形式的法律的意味』にをいての主権在民ではない」というところにおく。佐々木が基本的に民主主義を主軸とし、主権在民を是とするスタンスを保って議論するつもりなのである。
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 かくの如く民主々義は、その共通の観念においては、人権の尊重、自由、平等の欲求であり、この欲求を達成するために、実際政治の上において人民が最後の決定権を持つことであり、換言すれば『実際的政治的意味においての』主権在民なのである。従つて「形式的法律的」な主権在民は決して民主々義の基本条件ではないのである。そして。形式的、法律的な主権在民が、民主々義の基本条件でないとすれば、何故に彼等は形式的主権在民を金看板として、天皇制廃止を唱へなければならぬのであるか。
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 少なくとも佐々木は民主主義が前提であり、天皇制は民主主義と矛盾することはないと言っている。このことは重要である。たとえ占領下という時代状況下であったにしても、佐々木は民主主義者であったのである。
 そして佐々木は以下の様に結論づける。
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…凡そ民主々義を確立するにあたり、『法律的形式論』のみを振りかざして是非を判断することではなく、『実際政治的』にものごとを判断し、実行せねばならぬことである。だから形式的な主権在民の看板を押立ずとも、実質的に主権在民を達成すればそれで充分であり、何を好んで形式的法律論に拘泥して、二千年来の安定勢力たる天皇制を廃止する必要があらうか。
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 やや苦しいが、実質的に民主主義を確立すれば天皇制をなくす必要はないという言い分となる。
posted by 新谷恭明 at 15:54| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする
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