2017年03月19日

我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ

我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ
 この一節について杉浦重剛はまず忠孝について論じる。何故ならば忠と孝を別の徳として考えるのではなく、一体のものとして考えなければならないからである。杉浦は儒書を繙いて分析することはしない。儒書に記される思想は中国のものであり、杉浦は「斯かる国体なれば国民の精神も亦他国民と異ならざるを得ず」と〈中国には学ばない姿勢〉を取っている。つまり、「唯だ一時の権勢に屈服して心中不満を抱く如き他国の君臣関係とは大に其趣を異にす。日本国民の皇室に於けるは孝子の親に事ふると一なり。我国にては忠孝一本なり」(その時の権力にもんくたらたら服従するような他の国の君臣関係とは事なり、日本では忠と孝は一本なのだ)というスタンスだ。
 そして忠について論じる。杉浦は「忠とは、純粋至誠の心より天皇に仕へんとして発する高尚なる道徳的感情を謂ふ」と定義づけるのみで、以下歴史的に存在した忠臣の例を紹介することで説明している。田道間守と非時香果、和気清麻呂、楠木正成そして乃木将軍だ。
 孝について。杉浦は「孝とは至誠の心を以て子の親に事ふるを云ふ」と定義し、これを「我国固有の道徳」にしてしまう。ここでも「国体上忠孝一致にして、親に孝を尽くすは君に忠となり、君に忠たるは親に孝たり」と忠孝が一体であることを言う。重要なのは単に親孝行なのではなく、それは天皇への忠と同じだということである。その観点がなければ親孝行だけを前面に出すべきものではないのだ。
 なので、訳としては、

天皇である私の臣下である国民は親に孝行をするように私に忠を尽くしなさい。

ということであろう。
posted by 新谷恭明 at 13:00| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする
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