2016年10月24日

平和教育について

 県教研の「保護者・地域と連携した教育活動」分科会の一日目は2本のレポートがあったが、1本は空襲の記録を地元の体験者の話などを元にして独自の冊子をつくった平和教育の実践であり、もう1本も占領期に起きた米軍の火薬貯蔵庫爆発事件(佐々木盛弘『三発目の原爆』福岡県人権研究所発行)を教材とした実践であった。県教研では別に「平和教育分科会」が存在するので、妙なことになっていたが、私たちは「地域との連携」が柱なのでこの観点から感想を述べることにした。
 今年で戦後71年となった。これは最近あちこちで繰り返し言っていることなのだが、戦争を今の子どもたちに伝える時
71年というのは仮に10歳の子どもにとっての71年前である。ならば40歳の中堅教員が10歳の時を考えれば今から101年前のことになるだろう。大正4年のことになる。ちょうど第一次世界大戦の真っ最中である。50歳の管理職が10歳の時に学んだことであるならば明治38年、日露戦争だ。ワタクシ65歳のまだまだ若いじいさん(再任用最後の年になるのかな)にとっては明治23年、第一回帝国議会だったり、教育勅語渙発だったりという年だ。そうした年に起きたことで、つまり日露戦争や、第一次世界大戦を学んで平和学習になったか、ということである。僕もそれより近い日清戦争から平和の大切さは想像がつかなかった。
 さらに言えば10歳の子どもが40歳のばりばりの教員になった頃かれは戦後101年の子どもたちに101年前の出来事を素材に平和教育を行うことになるのだ。
 思えば僕が高校生の時「明治100年」の祝賀行事があったことを覚えている。で、1986年に戊辰戦争120年を機に山口県萩市から福島県萩市に和解と友好都市提携の申し入れをしたところ会津若松市から「時期尚早である」と言って拒否されたことがある。この申し入れはその後も行われ、ざっとネットで見た限りだが1998年にも断られ、2007年には当時の安倍首相が「先輩がご迷惑をおかけしたことをおわびしなければいけない」という発言をしたという。
 こういう話をしたら分科会では失笑が漏れた。ちょっと離れたところでは笑えるくらい昔の話なのだ。しかし、笑って済まされないのは、戊辰戦争は内戦であり、同じ日本人同士が戦争をしたのである。ならばわれわれは大分県と戦争をしようとか考えるだろうか。「あり得ない」と思うので、前述のような失笑ともなるのである。日本人同士の殺し合いというのは国家の危機という点では「再びしてはならない」ことの第一に挙げるべきことであろう。
 長々と時間感覚について書いてきたが、われわれオトナの世代にとってはわれわれが子どもの時に感じた70年以上前のことは歴史であったのだ。そして歴史で学んだ。だからわれわれはそんなことは今とは関係ないと思ってきたし、まして、大分県と戦争するかもしれないなどという危機感などは持つわけがないのである。
 歴史となっているということはまさにその頃とは時代が違う、という認識を持っているということである。時代が違うというのは社会のしくみも異なっているから「ありえへん」と感じたわけだ。空襲にしても現代ではおそらく子どもたちには「ありえへん」事象になっているのである。
 だからわれわれは地域の歴史として、その体験をした地域の人たちの話を聞きながら郷土の歴史をまとめていく。そのことによって「ありえへん」未来をつくっていく平和教育が重要なのではないだろうか。『3発目の原爆』についてはもう一つ。
「その時は占領下だったので十分な保障もなかった」
という説明があったので、一言口を出させて貰った。占領下であったというのは過去の問題ではなく、日米法的地位協定は存続していて、その体制は今も変わらない。ただ政治的に沖縄といくつかの米軍基地に適用されているだけで、それは日本全国何処でも米軍はその当時のように振る舞うことはできるシステムはそのまま残っているのだということを説明した。ということはここでの戦後は歴史であると同時に今も続いているということだ。歴史的に過去の者として位置づけられている事象の本質的な部分は現在も続いているということ。歴史として「ありえへん」未来をつくっていくためには今何をすべきか、ここに平和教育の重要な部分がある。平和教育は昔の戦争被害を振り返ることではない。これから戦争をしないことを学ぶことだ。ならば、安保法制なり、日米法的地位協定なり、現在の国土をめぐる問題。イスラム国なるものを敵として位置づけている日本国家の国際的な位置、そうしたことについてしっかり学ぶことこそが平和学習なのではないか。そしてかつての戦争は歴史として「なぜ愚かな戦争をしてしまったのか」「なぜ被害の少ないうちに戦争をやめられなかったのか」「なぜ残虐な殺し合いとなってしまったのか」ということについて学ぶことが必要なのだ。それを贖罪に留めたり、「やった、やってない」という罪のなすりあいをしたり、という次元で議論するのではなく、歴史としてその経緯を叙述していくことが重要なのだ。しかし、多くの人々が持論の正当化、自己の正当化のために歴史を利用しようとしている。自己正当化したがっている連中のことは放っておいて、平和教育を必要としている側の問題としていえば、現状認識のない過去の反省として戦争経験を語り継いできた。だからベトナム戦争の時も、イラク戦争の時も、安保法制の時も、沖縄の数え切れない諸事件の時も、平和教育の効能は発揮されなかったのだと言ってもいい。平和教育をさせられている、もしくはしなければならないと信じている人たちによって、同じ話の繰り返しを子どもたちにむかってしつづけてきたのではないだろうか。
 私の子どもが小さい頃だから30年くらい前になるだろうか。子ども向けのコンサートかなんかを見に行ったときに私よりも10歳は若いミュージシャンが反戦のメッセージを歌い、「おうちにかえったら、おとうさん、おかあさんにせんそうのことをきいてごらん」と叫んでいたときに感じた違和感を思い出す。私はその時密かに叫んでいた。
「聞くとすればお前の親の世代のことだろう。この子たちの親は戦争を知らないぞ!」
 その頃から始まっていたのだ。戦争を知らない世代が親になり、祖父母になり、中には曾祖父母になろうとしているときであっても、戦争を知っている人たちがつくった教材をそのまま使って、そのまま同じ話を受け売りでしつづけてきたのではないか。ある時期まではそれも通用したが、もう賞味期限は切れている。戦争も戦後も歴史なのである。歴史として研究し、歴史として学び、歴史として教える時代となったのである。そのことによって、いまやそんなことは「ありえへん」というものにしていかなければならないし、今直面している問題にどのように対応するのかを子どもたちとともに考えることが喫緊の平和教育の課題なのである。その時、歴史学習は重要な意味を持つのである。
 過去のことは歴史として学び、ある史実はもう起きるはずのないまさに歴史であって、「ありえへん」世界に置いていくこと。また、ある歴史は未だに解決されない現代の問題でもあり、その解決が迫られていること。そして、これから平和のためにしてはならないことについて考えるという方向に進めていくべきではないのだろうか。
 繰り返す。われわれはあまりに過去の学習のみにこだわり続けてきたのではないか。こだわることでそれらを歴史として考えず寓話にしてしまった。歴史には未来を変える力があるが、寓話は「ありえへん」話として黙殺されてもおかしくないのである。
posted by 新谷恭明 at 00:14| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする

2016年10月23日

小中一貫教育の陥穽

 県教研なるものが昨日今日と県内某所で開催され、僕は「保護者・地域と連携した教育活動」という分科会の共同研究者として参加した。この分科会、以前は二つか三つの分科会を統合してきた分科会であり、以前の分科会が扱っていた何でもありの分科会なのである。
 レポートは4本しかなかったが、それはともかく、今日出た論議の中でおもしろいことを発見した。中学の美術科の先生が小中一貫校での経験を語った時のことである。
「小学校の先生の図工を見ていたら、とても自分には無理だと思った。」という発言である。
 それは好き勝手に図工の時間を楽しんでいる子どもたちを見守っている小学校の先生たちのやり方に自分ではそうしたことはできそうにない、というものであった。理由の一つは小学校の教師に対する敬服であり、もう一つは美術教師として小学校の図工の意味が理解できないということのようであった。その話を聞いたところではたと気づいたことがある。
 先日の教育課程論の講義に於いて経験主義と系統主義について説明した時、地理的な学習について、小学校の社会科では「自分たちの住んでいる身近な地域や市(区,町,村)について」から学び始め、「世界の中の日本の役割について,次のことを調査したり地図や地球儀,資料などを活用したりして調べ,外国の人々と共に生きていくためには異なる文化や習慣を理解し合うことが大切であること,世界平和の大切さと我が国が世界において重要な役割を果たしていることを考えるようにする」という流れで学んでいくことになっていることを話した。方法的にも「身近な地域や市(区,町,村)の特色ある地形,土地利用の様子,主な公共施設などの場所と働き,交通の様子,古くから残る建造物など」調べていくところから始まる。
 一方、中学校では「地球儀や世界地図を活用」した「世界の地域構成」から学び始め、「身近な地域における諸事象を取り上げ,観察や調査などの活動を行い,生徒が生活している土地に対する理解と関心を深めて地域の課題を見いだし,地域社会の形成に参画しその発展に努力しようとする態度を養う」「身近な地域の調査」に至るという学ぶ順序になっている。
 順番が逆なのは、小学校では身近な地形、施設、建造物など自分の感覚でつかめるものから入り、世界平和に至るもので、子ども自身の見聞きしているという体験を入り口とするいわば経験主義に基づいており、中学校はまず「地球儀や世界地図」という観念的世界を枝分けしていって身近な地域に辿り着くというように系統主義的な発想で編成されている。
 その段階では小学校と中学校のちがいを説明することより経験主義と系統主義のちがいを説明するに止まったのだが、今日はそれが小学校と中学校のちがいとなっているということの意味に気がついたのである。中1ギャップとか言われるものは小学校と中学校の教育課程の基本的な構成原理が異なっているのではないか。
 そうすると現場の教師たちからも
「小学校の先生とはいつも議論がかみ合わない」
という意見が出てきたのである。
 重要なことは、昨今流行の小中一貫教育、小中連携教育というようなものが、例えば、1234年/567(中1)年/89年という学年の分け方をして何かギャップをなくせたかのような編成にしているが、それでは問題は解決できないと言うことだ。教育課程の編成原理が異なるのだからそれを修正しないと問題の解決にはならない。小中一貫校ないしは連携校でそれをしているところはあるかと訊いたけれど、どうもなさそうであった。
 小中一貫で教育をしようと言うのならば教育課程の編成原理を9年間通して作り直さなくては全く意味をなさない。ただ、六年生から七年生のところで躓くことは変わらないし、同じ学校ならばよけい混乱するだろう。そのような教育課程の再編を行わずに物理的な空間や人事だけをいじったところでそれは教育行政の自己満足以上のものは生み出さないだろう。そこで迷惑するのは子どもたちでしかない。
 ていうか、そのような教育課程を再編成し直し、教科書を書き換え、という作業は現場で簡単にできるものではない。まずは一貫校用学習指導要領をつくるべきなのだ。そして教組の各支部は市町村の教育委員会に、都道府県教組は都道府県教委に、そして日教組は文科省に、教育課程の再編を要求するべきなのだ。
 教研活動とはそういうものではないか。現場からすごいことを教わった1日であった。
posted by 新谷恭明 at 23:17| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

日教組の道徳教育観  人権尊重を中心とする基本―道徳 その2

 と言うことで各論に入る。
1.生命の尊重
「…おたがいのいのちを大切にしあうこと、より具体的には人を傷つけない、暴力をふるわない、けんかをしないとともに、いたるところで危険のおそれを慎重にとりのぞくこと、生命を軽視しないことをしっかりと訓育しなければならない」
2.自由と幸福(民主主義)
「…自由と幸福の問題は人権尊重の基本である。われわれがこれまでの生活指導運動のなかで、力をこめてとりあげてきた人間差別の問題―男女・長幼・優劣・美醜・貧富・人種の間におこる差別の排除や、進学児と就職児との反目の除去などは、いずれも、たしかな訓育として実践してきたのである。
3.労働愛
「…盗みをしてはいけないということは幼児からしっかり訓育しなければならないことであるが、その根本は労働の尊重ということにあるのである。
4.文化愛
「…あらためて民族文化の措置をこうじ、若い世代に正しく伝統的業績を示すことが必要である。とくに現代学校においては、これらの文化をまなびとる学習活動への集中をはかることは、それ自体が道徳教育の一部であって、…」
5.民主的団結
「…現代的な貧困と疎外の問題を克服していくためにはいっそう民主的・国民的な統一と団結が実現しなければならない。このような統一と団結のモラルが、いわゆる集団主義モラルである。」「…したがって子どもたちにも、その要求をくみあげ、要求を集団の討議で目的に転化し、目的の実現にむかって行動を組織するなかで、相互の批判と援助、分担と協力、集団の秩序ときまりなどの訓育をするとともに、集団の物理的・知的・道徳的な力を自覚させていくことがたいせつなことである。
6.民族愛(祖国愛)
「今日の支配階級は、周知の通りいまさかんに愛国心を中心とする道徳教育の振興をはかろうとしているが、そりはここにのべてきている矛盾に目をおおい、現支配体制の持続をはかるものであるが、それに対して、われわれは、民主的国民権力の樹立と完全独立の達成によって真の民主主義を実現する意味における「国」づくりにはげむ「愛国心」をこそ育てあげなければならない。しかし、わたしはこの項目を「愛国心」とはかかけず、「民族愛」としたのは、権力側の使用語句をさけたというだけではない。それ以上に、わが国の民族的伝統を真にうけつぎこれをたいせつにしていくのは、じつはわれわれ国民大衆以外にはないという考えをもっているからてある。」
「われわれにとっての民族愛とは、日本民族が真の民主主義を実現するために、民主的国民的な権力をうちたて、完全独立を実現し、民族の文化と伝統とを尊重する態度や行動としてあらわれるものだということになるだろう」
7.平和愛好と人類愛

※この項を読んでくると、「訓育」という言葉が朱字で示したように生命の尊重、自由と幸福、労働愛、民主的団結の各徳目に登場する。問題はこの訓育の方法には触れていないことだ。そしてすでに引用したところであるが、「子どもに正しく生きることを求めるまえに、われわれ自身がまず正しく生きなければならない。このことを前提としないで、われわれは道徳教育にとりくむことはできない。」というような〈師の背中を見て育つ〉という古典的な人格論が底流にはあるとみることができる。
 また、「民族愛」に関しては違和感を覚える。人為的な構成体である国家に対する「愛国心」という言葉を避け、「わが国の民族的伝統」という非選択的な「民族」に重きを置く発想を当時の日教組内では持たれていたということである。しかもあらゆる民族というのではなく「日本民族」と明言しているのである。そのような民族的マジョリティの金看板を掲げている民族主義が少数民族に対する配慮をどれだけ持ち得たのか、そこは興味深い。
それにこんなことも書いている。
「たとえそれが教育勅語にかかげられた語句だからといって、もはや時代が変わったから不必要だということにはならない。たとえば、『兄弟二友ニ夫婦相和シ』は生きている。いまもその必要がある」(七三頁)
posted by 新谷恭明 at 14:20| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする