2016年03月31日

福岡県教育277

『福岡県教育』277(大正9年4月号)の埋め草記事

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訓話ニヨリ道徳的判断ヲナサシムベシ
実践ノ反覆ニヨリテ良習慣ヲ作ルベシ
躬行実践ニヨリ其ノ範ヲ示スベシ
時勢ニ適合セル教材ヲ選ブベシ
教材ト季節トノ関係ヲ考慮スベシ
土地ノ情況習慣ニヨリ教材ヲ取捨スベシ
経済上ニ注意スベシ
一学科ト他教科トノ聯絡ヲ密接ナラシムベシ
実習ニ重キヲ置クベシ
個性訓練ニ注意スベシ
posted by 新谷恭明 at 20:15| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする

福岡県教育274

『福岡県教育 274』(大正9年1月号)の埋め草コラム

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各教科の要旨を忘却すな
一時間中の主眼を捕捉せよ
教材相互の軽重を考慮せよ
教師の精神は清爽なるべし
教師の容儀は整然たるべし
教師の風采は快活なるべし
posted by 新谷恭明 at 18:50| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする

2016年03月21日

篠原助市「自由と創造と教育」その2

・・・・併し、消極的に他から拘束されないと云ふことは、其の中に、自ら私共の中には、拘束される或物がある。他から妨害せられ得る或物があると云ふ意味を含んでゐます。今の例で云へば、飛ぶ鳥が拘束せらるゝには、鳥には飛び得る力があると云ふことを予想しなければなりませぬ。即ち消極的自由は、其の半面に必ず消極的自由を欲する所の、或力があると云ふこと、或種の能力があると云ふことを意味するので、此の意味からして、自分の性質に従つて動き、己れの目的に従つて行ふたとき我々は自由であると言ふことが出来ると思ひます。ここ迄は恐らく何人も異議のないことゝ考へますが、さて自分の性質に従つて動き、己れの性質に従つて行ふとは如何なる事であるかと、尚進んで問ふたとき、此の、己れの性質に従つて動くと云ふことの解釈のしやうで自由の意義が色々に分れてまゐります。即ち自由に関する問題は、自分の性質に従つて動くとは何ぞや、といふ問題から出発し、此の問題の解決如何で自由といふ一つの語も色々の異なる意味に使用せらるゝに至ります。ホーンと云ふ人の「自由意志と人間の責任」と云ふ本の中に、(六四頁)彼は古来諸家の用ひた自由の意味を十二種数へ挙げてゐます。同じ「自由」が、あゝも異つて解せらるものかと思はれるほどであります。私は今其の十二の自由に付て一々申上げる暇はありませぬが、唯、大体之を二つ、其の一つは心理的自由、他は哲学的自由、と斯う二つに分ければ、色々の自由を其の中に、大凡包括することが出来るやうに考へますので、先づ独断的に、己れの性質に従つて動くと云ふ意味の自由を此の二つに収めて、第一に心理的自由について述べ、次ぎに之れがどうしても哲学的自由に迄進まなければ、問題の解決が付かないと云ふことを申上げ、最後に哲学的の自由に付いて、自分の考を申上げたいと思ひます。

※消極的自由というのは消極的に何かに何かが拘束されていないということを意味するわけで、そのことはわれわれの中に拘束されるものがあるということである。鳥は「飛び得る力」を例えば籠に拘束されているということになる。ところで、ホーンの「自由意志と人間の責任」には十二種の自由に付いての記載があるそうだが、大きく分けて心理的自由と哲学的自由がある。
posted by 新谷恭明 at 15:41| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする