2015年06月18日

「ユニバーサルデザイン研究」の受講者の質問への回答

6月13日(土)に「ユニバーサルデザイン研究」という集中講義で、「人権と共生の視点から見たユニバーサルデザイン」という講義を一コマ担当した。そうしたら感想シートというのがあって、「今日の授業を振り返って、コメントを書いてください。質問等ありましたら、こちらに書いてください」とあるものだから、いっぱい質問が寄せられてしまった。なのでこの場を借りて、回答することにします。

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◎なぜ、昔は人権に対しての意識が低かったのかな
●それは人権という概念がなかったからです。ないものを意識することはありません

◎「共生」について。不協和音が出て成り立つって具体的にはどういうことでしょう
●和音つまり社会全体がハーモニーのとれた社会って気持ち悪いでしょう。みんながみんな嵐のファンだっりするとか。みんながみんな安倍晋三の支持者だったりするとか。

◎テレビで「憲法は国民が守るものではなく、権力者から守るためにある」と言われてましたが、結局今日の話を聞いてもよくわからなかった。
●憲法は国家が勝手に悪さをしないように歯止めをかけるのが役割があり、権力者が守るものなのです。
 実際の話をすると、権力者である天皇がが戦争をしたいと思ったらすぐ戦争ができるというのでは天皇のご機嫌次第で戦争に駆り出されなくてはならない。それではたまったものではないから、天皇は象徴で命令はできないものだと日本国憲法では規定してある。
 また、権力者である首相が戦争をしたいと思ったらすぐ戦争ができるようでも、首相の気持ち次第で国民は戦争に行かなくてはならない。それはまずいので、憲法でこの国は戦争をしないと規定してある。
 県民の中に職がなくて飢え死にしそうな人がいても知事が税金がもったいないからといって、放っておけば死んでしまう。なので国民には生き延びてなんとか生活する権利があると憲法には書いてある。
 そのように国家を縛る法律が憲法なのだということ。
これを読んでみよう。法学部の南野先生とAKBの内山奈月さんの合作だ。
※南野森+内山奈月『憲法主義』PHP研究所

◎実際、教員の立場から、伊都キャンパスや他キャンパスの構造、システムにどんな問題があるのか、知りたい。
●教員それぞれ、いろいろ持っていると思う。法学部なら江口先生や五十君先生に聞くといい。

◎ユニバーサルデザインの他に世界のあらゆるちがいを認めながら共生していくためによいものは何がありますか。
●あなたがいます。

◎今の私の感覚としては“社会のルールをつくること”が自分の生活と遠いところにあるように思います。日本の教育史が専門の先生から見て、ルールづくりを主体的に行うことと、教育の役割をどのように考えていますか。
●義務教育は9年間、15歳までの教育です。そこでの目的はルール作りを主体的に行うことができる人間の育成です。教育基本法には「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない(第一条)」と書いてあります。つまり「ルール作りを主体的に行える人間」を育てるということです。これは平成18年の改訂以前と以後でも変わりはありません。
 日本の歴史を振り返ると民主主義は国民が自ら望んで獲得したものではありません。明治維新も一般庶民は関係なく武士の間の抗争で行われたものですし、その後の近代化は欧米の政治思想を学んだ人に引っ張られてきたものです。そして現在の民主主義国家はアメリカの占領下で降りてきたものです。
 つまり、市民革命をやっていないので、自らの手で国のかたちを設計した経験がないのです。ですから、国家というのは「お上(かみ)」であって、一般人である自分たちの関与しないことだという体質が変わっていないのです。
 だからこそ、民主主義(ルールづくりを主体的に行う)が必要ならば、義務教育できっちり子どもたちに「ルールづくりを主体的に行う」ことを学ばせないといけないでしょう。しかし、日本では受験指導に精一杯(=「国家及び社会の形成者」にならなくてもいいから試験対策だけしておけというだけ)なので民主主義は定着しないばかりかどんどん衰退しているのです。来年から選挙権は18歳以上になります。高校生は受験勉強している場合じゃないのです。高校生が政治(=ルール作り)に関われるよう、義務教育及び高校教育は発想を変えなくては(教育基本法通りのことなのですが)ならないのでしょうね。

◎symbiosisとconvivialityという二つの別の単語が同じ意味なのだろうか。
●どちらも「共生」と訳されますが、意味はちがいます。
 symbiosisは生物学的な共生で、異なる生物が相互関係を持ちながら同じ場所で生きること、です。人間関係でいえば親子関係みたいなものです。一方から一方へ仕送りを続けるというようなものですね。また政治家と御用商人みたいな持ちつ持たれつのような関係とかですね。
 convivialityはこれからの社会に期待される「共生」のかたちでそうした関係性を持たなくても同じ社会で生きていける社会のしくみとかあり方のことです。ダイエットしている人も、相撲をしている人も食事を楽しめる食堂みたいなものです。この二人の関係はないけれど、同じ食堂で満足できるということです。ちがうでしょ。

◎明治期に新しい社会のルールとして「人権」が導入されたとき、社会はどういう反応を示したのか。そしてこれから社会が新しいルールを受け入れる時代が来たときに日本がどのような反応をするだろうか。
●「社会」は一つの存在ではないので、一つの反応をするわけではない。そういうふうに君とは別のところに「社会」が存在すると考えてはいけない。「社会」は今ここにいる君を含めたわれわれ全体なのだ。
 明治維新をおこなったのは一部の武士たちであった。彼らはこの国が一つの国家として統一しなければ西欧の餌食になってしまうと考えた。それで政府を作った人間は政府のかたちを作り、教育によって国民を育成しようとしたが、政府に入らなかった人たちはその国民としての「権利」を政府に対して強く主張した(自由民権運動)。それで政府は憲法を作ったり、国会を開設したりして国民が「権利」を行使するしくみを考えた。そこでは今よりははるかに脆弱なものであるが「人権」というものは想定していた。社会の中には「人権」や「権利」をめぐって様々な考えが登場したと言える。「社会」が一様に反応したわけではない。「社会」は政府の役人であり、民権運動家であり、市井の大衆であった。ということだ。
 「社会」はいつでも新しいルールを模索している。それはよりよい「社会」を作るためだ。で、具体的な話をすると、来年から18歳以上の国民は選挙をすることができるという新しいルールが17日の国会で決まった。「日本」はどのような反応を示すかという「日本」は存在しない。「日本」がそのルールを決めたし、「日本」の18歳が来年投票所に向かうのだ。「日本」である君はこの若い選挙権保持者についてどう思うだろうか。
 もう一つ。安倍政権は集団的自衛権をめぐって新たな憲法解釈をしようとし、ほとんどの憲法学者がそれは違憲だと言っている。で、新たな憲法解釈が通れば、「日本」は戦争に加わるというリスクが高くなる。で、「日本」である君に敵国のテロが及ぶかもしれないが、そのときはどう思うかな。

◎優越感を含まない思いやりを増やしていくには具体的にどうやっていくのがよいのでしょうか。
●まずは思いやりがなくてもお互いに傷つかない社会システムを作るべきです。で、その上でのことですね。そういう思いやり(他者のことに心配りをすること)はかっこいい生き方なのだということをあなたから実践することです。思いやりというような道徳的な振る舞いは
〈そうすべきだ〉
などと親や教師や上司から言われると必ず反発されるものです。そういう行動を増やしたいと思う人は自らそれを実践して、他人から
〈ああ、あの人の生き方はかっこいいなあ〉
と思われるようになれば、次第に本物の思いやりを持った人は増えてくるでしょう。

◎共生には、おもいやりはいらないと言いましたが、ある程度のおもいやりは共生したり、よりよい社会を作る上で大切なのだと思いますが、どう考えますか?
●まずはどんなに性格の悪い奴ばかりでも、それぞれが不便を感じない社会のシステムを作ることが大事です。人の善意(おもいやり)に依存して成り立つ社会はシステムの基本にひずみがあっても気づかず、人の心変わり次第で「人権」も「共生」も台無しにしてしまいます。たとえシステムの不足分を思いやりで補うものであったとしても、です。
 但し、思いやりがなくても共生できる社会システムができて、その上に人間の思いやり(他者を気遣う気持ちと行為)がおこなわれれば、もっと素晴らしい社会になると思います。

◎もし、障害者が事実、「遠慮を感じている」というデータがあれば教えて欲しい。
●そういうデータを取ることは難しいですね。あれば僕も知りたいです。経験的にはみんな遠慮していると思います。多少権利を主張される方に対して健常者側からは「遠慮のない奴だ」というまなざしをしているのではないでしょうか。そこに社会的バイアスがあることを知らなくてはいけません。
 遠慮というのは社会的なバイアスが行動を自ら制限することです。そして健常者は自らバイアスを賭けていることに気づいていないので、障害者と健常者との間にはそもそも遠慮についての物差しが異なっていると考えたらいいと思います。
 もし、障害者問題に詳しい方でそのような情報をお持ちでしたらよろしくお願いいたします。

◎ほとんどの人がなんとも思わないが、少数の人が不便と感じるものがあるとしたら、多数の人・少数の人、どちらに合わせたらよいと思いますか?
●少数の人です。少数の人の不便を解消したら多数の人はもっと便利になるからです。

◎誰もが遠慮なく暮らせるように、障害のある方も気兼ねなく意見を言えるような場はありますか?
●あなたのそばです。

◎先生は、幸福は何だと思うか、ということが知りたいです。
●僕の問題を聞いているのですね。「恙なく」もしくは「充実」のいずれかが満たされているときですね。
posted by 新谷恭明 at 20:57| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2015年06月11日

鎌塚扶『新教育の原理と方法』


「第一次世界大戦後は戦敗国も戦勝国もなく、極端な社会主義、即ち共産主義の影響を受け、その派の者が政権を握るに至つた。しかるにその結果は何れも失敗に終つた。」
「軍部の勢力に押され、やがて一切が軍国主義化した各界の全体主義的・統制的な組織と圧力の前には理性も遂に黙せざるを得なくなり、国家は遂に破滅への坂道を,邁進し、壌滅してしまつたのである。」

※この文の前後も似たような文が並ぶ。要は「命令に対し服従を強うる方法の一点張であつた」ということを鎌塚は言いたいようだ。

「・・・・遂にドイツではヒットラー一派の独裁政治家やイタリヤではムッソリーニ一派のファッシズムを生む素地をつくり、戦勝国のイギリスですらマクドナルドの労働党内閣を見るに至つたが、赤字財政に堪えかねて保守党の協力を求めざるを得なかつたのである。」
「この間にあつて独り新興の米国(一七七六年に独立)のみは所謂穏健中正なる民主主義思想の醸成と普及と実践とによつて国歩を誤らず、よく今日の隆盛を招来したのである。」

※アメリカを妙に持ち上げてはいる。

「機械的平等は共産主義的悪平等の弊を生んで生産を低下し、文化を衰退させてしまうであろう。」
「個人主義ならざる真の個性主義によつて人権の正しい認識とその行使を誤らぬようにせねば所謂新日本の建設も、又新教育の普及徹底も、これを期待することはできないであろう。」

※まだ本人の中で納得のいかない民主主義が彼の中で揺れている。そんな感じがする。
posted by 新谷恭明 at 22:30| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする