2015年02月18日

確かに7

妥協を「原則として」否定したり、妥協は、それがどんなものであろうとも、全然ゆるされないものであると否定することは、まじめにとりあげることさえできないほどの子供じみたふるまいである。・・・・中略・・・・妥協にもいろいろある。ひとつひとつの妥協、あるいはひとつひとつの妥協の変種について、その情勢と具体的な諸条件とを分析することができなければならない。

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確かに6

 一九〇五年におこなわれたボリシェヴィキの「議会」ボイコットは、革命的プロレタリアートを、非常に貴重な政治的経験をもってゆたかにした。・・・・中略・・・・一九〇六年のボリシェヴィキの「国会」ボイコットは、たとえ大きなものではなく、たやすくなおすことができるものであった*とはいえ、すでに誤りであった。一九〇七年、一九〇八年、およびこれにつづく数年間のボイコットは、もっとも重大な誤りであって、訂正することが困難であった。というのは、当時、一方では、革命の波がきわめて急激にたかまることも、それが蜂起に移行することものぞめなかったし、また、他方では、当時は、ブルジョワ君主制の改革という歴史情勢全体から見て、合法的活動と非合法的活動の結合が必要になっていたからである。・・・・・もしボリシェヴィキがきわめて厳しい闘争のなかで、合法的闘争形態と非合法的闘争形態とを組みあわせる義務をまもらず、もっとも反動的な議会、および反動的な法律にもとづいて設立されたその他多くの機関(保険金庫など)に義務として参加しなかったなら、彼らは一九〇八-一九一四年のあいだにプロレタリアートの革命的な党の強固な中核を保持すること(それをかため、発展させ、つよめることはいわずもがな)はできなかったであろう。

* 個人にあてはまることはーーそれ相応の変更をくわえるとーー政治や政党にあてはめられる。まちがいをしない人が、りこうなのではない。そんな人はいないし、いるはずもない。とくに重大なまちがいをしない人、そしてまた、そのまちがいをたやすく、はやくなおせる人がりこうなのだ。

※注に至言あり、か。「まちがいをしない人はいない」のだ。但しまちがいを早く直すことが肝心なのだ。
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2015年02月17日

確かに5

〈六 革命家は反動的な労働組合のなかではたらくべきか?〉
 ドイツの「左翼」は、この問いにたいし無条件に否定の答えをするのが、自分たちにはきまりきったことだと思っている。彼らの意見では、「反動的な」また「反革命的な」労働くみあいにたいし、大言壮語し怒号する(中略)だけで、革命家、共産党員は、黄色の、社会排外主義的な、協調的な、レギエン流の、反革命的な労働組合ではたらく必要がなくもまたはたらくのはゆるされもしないということを、十分「証明」できるらしい。
 だが、ドイツの「左翼」が、この戦術は革命的であるとどれほど信じ込んでいようと、それは事実上根本的にまちがっており、からっぽの文句以外になにもふくんでいない。
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