2014年12月24日

事例研究とということ(その3)

 先日、地下鉄のホームでFBよくお世話になっているM名誉教授とばったり出会った。で、話は「事例研究」に及んだ。Mセンセイ曰く、「自分たちの領域では事例報告と研究は分けている。事例報告も重要なので学会で発表できるが、それは研究ではない。三つ四つ報告を重ねて、それらを分析して研究になる」とかなんとかいうことであった。然り、それは文系でも言える話だ。今後はそういう提起も必要だろう。まずは事例報告のようなものを事例研究と呼ぶ習慣をやめさせた方がいいのではないかと思う。
 で、研究Cはある教育事象についての管理職を含む5人の教員への半構造化インタビューを試みたものである。研究Bが1人の教員に相当時間数をかけてライフストーリーを聞き出そうとしたのに対し、研究Cは5人にそれぞれ1回ずつのインタビューを行ったものである。だからライフストーリーではなく、インタビューとしているのだろう。しかし、5人に話を聞くことでわかることとは何だろうか。
 いや、逆に考えるべきか。あることを知りたいと思ったら、どういう方法で知るのが妥当なのか。先般、某一国の首相たる人間がテレビでインタビューに答えている街の声を「恣意的だ」と非難したらしいが、あの幼稚な首相でさえ想像できてしまうくらい数人のインタビューに対する信頼度は高いとは言えないだろう。
 質的研究ということがこのところよく言われるし、その方法論についての文献もずいぶん出ている。技法の理論書が多く出ているということは質的研究には理論、技法についてしっかり学ばないとまずいだろうというところがあるということだ。にもかかわらず、学会発表、卒論、修論、はたまた博論(さすがに構想まで)にその類いの信頼度の低いデータに基づくものが多いことか。これらはMセンセイに教わったところの事例報告というものにしておいてはいかがだろうか。5人なら5人の人間のうち鈴木さんはこう言った、山本さんはこう言ったという事例報告にすればいい。そのうち関係者はみんなこう言うという「飽和」の状態が来るかもしれない。そうしたら研究に昇格できるだろう。

 
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2014年12月18日

これからの日本はどうなるのか(その2)

・・・・・・で、具体的には以下のように紹介されている。

たとえば税金は必要な場合はできるだけ低く抑え、収入の多少に関わりなく均一に課税すること。企業は世界のどこでも自社製品を販売する自由が与えられるべきであり、政府は自国の産業や所有権を保護しようとしてはならないこと。労働力を含め、すべての価格は市場の決定に委ねるべきであること。最低賃金は決めてはならないこと。また民営化すべきものとして、フリードマンは医療、郵政、教育、年金、さらには国立公園まで対象としている。(ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』78頁)

※こうしてみると現在日本で起きていることがすべてフリードマンの考えに沿ったものであることがわかるだろう。法人税の引き下げ、消費税の引き上げ、TPPへの参加、非正規雇用の増大、郵政民営化、大学の法人化、株式会社の学校経営等々である。
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2014年12月17日

これからの日本はどうなるのか(その1)

再掲になるが、ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』(岩波書店)に次の一節がある。

……フリードマンの「ニューディール政策はあらゆる面で失敗だった」という執念にも近いメッセージだ。彼によれば、「私自身の国を含め、(多くの国が)誤った道を歩み始めた」原因は、まさにそこにあるという。それらの国々の政府を正しい軌道に戻すために、フリードマンは一般向けに書かれた最初の著書『資本主義と自由』で、その後の世界の自由市場経済にとって基本ルールとなる者を打ち出すとともに、アメリカ国内では新保守主義運動の経済政策となるものを作り上げた。
 第一に、各国政府は利益の蓄積にとって障害となる規則や規制をすべて撤廃しなければならない。第二に、政府が所有する資産で企業が利益を上げられるものはすべて民間に売却しなければならない。第三に、公的プログラムにあてる予算は大幅に削減しなければならない。この規制緩和、民営化、社会支出削減の三つの柱に、フリードマンは具体的な提言を数多く盛り込んでいた。

※「規制緩和、民営化、社会支出削減」という三つの柱を見るだけで現在の安倍政権がフリードマンの提言にそった施策をしていることがわかるだろう。
そして、・・・
posted by 新谷恭明 at 16:24| Comment(2) | 日記 | 更新情報をチェックする