2014年09月28日

小原国芳『国民学校案』④

 四、自由主義だといふ人があります。一体、何が自由が悪いのでせう!いい加減な時代精神におもねつてはなりませぬ。子供の自由活動を、創作工夫力を否定してドコに国力の増進も、大国民の錬成も、戦術の研究すらも、武器の改良工夫も道徳上の責任も、新学術の発見発明も・・・・・望まれませう!(29頁)

 しかも、日本教育の現状は決して悲観するには及ばないと思ひます。都に田舎に、実に立派な業績を挙げて居られる学校は相当に数多いです。いはんや大正の中頃から培はれたる新教育運動の精神と、この非常時局の生んだる皇民誠忠の精神と愛国の至情とは両者合体して、更に国家教育行政家決意と、この三者相和して必ずや茲に美しき花が咲くと信ずるのです。(31頁)
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2014年09月24日

小原国芳の『国民学校案』

 小原国芳『国民学校案』という書物を入手した。1940年、昭和15年に玉川学園から発行されている。
「黎明は来ました。愈々夜が明けます。」
 その書き出しは喜びで踊り出しそうなくらい浮ついている。よほど嬉しかったと見える。小原にとって教育審議会が答申した国民学校案はまさしく新教育が行ってきたことそのものであったと映ったようである。ある時期、新教育が弾圧され(それ故に反戦的、反国家主義的だったとみなし)、その後に国家総動員体制の国民学校教育が成立したというような評価が一般化したとようだ。しかし、内容を見ていくとどうもそうではないようだ、新教育と錬成はよく似ているのではないか、と考えるようになった。実際、千葉命吉は熱烈な天皇信奉者であったし、手塚岸衛の自由教育論は結果的に子どもたちを特定の価値観にいざなう方法論を持っていた。
 小原はこの著作に於いて弾圧に対する鬱憤を晴らすと共に新教育こそが国民学校案の基底に流れる理念だと快哉の声を上げている。とすると、新教育対国家権力という図式はまちがっているのだということである。そういう単純な対立構図ではない事情があったのではないかと察せられる。
 なぜ新教育は国家権力と対立する存在として描かれてきたのか。それは戦後のいわゆる55年体制における保守と革新、与党と野党、権力と反権力という単純な対立図式を歴史解釈に持ち込んだ所為であろう。
 昨今、ヘイトスピーチと呼ばれるような下品な発言をする人たちや、同様に短絡的な自称右派の跋扈が気になるご時世である。それに類いした連中から僕はしばしば誤解を受けている。確かに僕自身はかつて左翼に身を置いていた。しかし、反発するだけの左翼には幻滅した(新旧何れにもだ)。だからと言って無批判に天皇制萬歳だとか、愛国云々を叫ぶ似而非右翼や権力に擦り寄るだけで保守派だと考えている体制派の薄汚さにも生理的になじめないでいる。
 僕が反戦を言えば左翼だと言われ、人権問題にかかわればこれまた左翼だと思われる。ま、もとい左翼活動をしていたから左翼系だろうとは思う。しかし、これは短絡した55年体制主義ではないか。右翼は好戦派なのか。右翼は反人権なのか。見ていると、特に何も考えず、自身が右翼であるために戦争したがったり、人権を否定したがったりする連中も多いようだ。それは左翼に対する反発に過ぎないのではないか。左翼がそうであったように。しかし、右翼が平和を希求し、人権を重んじるのはまちがいではない。国家の安寧を願い、国民の幸福を大事とするならば、右翼がそうであることに何の問題もないはずだ。もし右翼が愛国者であるならば、この国を戦火に導く輩は亡国の徒に見えるだろう。また、右翼が愛国者でないならば、それは右翼とは言いにくい。しかし、歴史的には右翼と色づけられた者たちのなかにはこの国を好ましくない方向に持って行った輩が多々いる。最近はそうした連中を右翼とは言いたくなくなった。ただの暴徒であったり、ファナティックなレイシストであったり、粗暴な愚連隊擬きもしくはチンピラであったり、と見た方が妥当な者も少なくない。
 ヘンな言い方をした。国を愛すると言うことと、政治思想が右か左かと言うことは別の問題であった。しかし、これも勘違いが多い。愛国者は右翼だ、という思い込みから自称左翼のなかには怪しげな無政府主義者になってしまうものも少なくない。55年体制以前には日教組は愛国者であり、日の丸の旗を組織的に販売していたくらいだ。愛国者は愛国者を尊敬する。これは当然のことだ。自己愛=他者憎悪というのは余りに短絡した発想であり、そうした思想をナショナリズムだとも思いたくはないし、そういう人たちを右翼には入れたくない。僕はこの国の国民である。だからこの国を愛せる国にしたい。無条件にその国を愛するのではなく、その国の構成者としてその国をいいものにしていくことは重要なことではないか。
 この国は民主主義を国是としている。基本的人権を重んじる国家でありたいと願っている。それ以上でも、以下でもない。
 話が逸れた。要は右か左かという55年体制史観からの脱却をしなければならないということが言いたいのだ。そして、小原国芳は熱心な国民学校論者であり、時局の流れに合わせてモノを言うプラグマチストであったというばかりではなく、まちがいなく戦争協力者であったこと。また、小原が言うには、大正新教育は皇国民の育成をはかった錬成と同じだということだ。大正新教育研究はドンドン書き換えられるべきだ。
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小原国芳『国民学校案』③

 かくても指導して頂いた今は亡き恩師澤柳先生をはじめ、小西先生に衷心からなる感謝を捧げねばなりませぬ。共によく談じた故人北澤教授、手塚岸衛氏及び訓導諸兄、なほ矍鑠たる奈良の木下先生とその一統の方々、さては八大教育と問題にされた仲間、ワセダの稲毛君、千葉君、万年主事でとうとう通された及川氏、更に長老格の野口先生、下中兄、赤井兄、志垣兄、爲藤兄、小野兄、殊に慶應の小林先生、ワセダの原田兄に小澤兄、広島の長田兄等・・・・・・・・あの大正七八年以後の新教育戦を戦うた人たちの功績を忘れてはならないのです。(18-19頁)

 それらの人たちが時に監督官に叱られ、村人に誤解され、仲間に嫉妬され、中々の苦闘でありました。私を講習会に呼んだ為に免職になつた視学が二人校長が一人あります。危険視されて左遷された人は数多いことでせう。心から、かゝる人たちに栄誉ある文化章を贈りたいものであります。(20頁)
posted by 新谷恭明 at 00:35| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする