2014年07月31日

日本教育史の試験問題

 基幹教育文系ディシプリン科目として開講した日本教育史の試験問題.PDFです。問題文が横なので、ご面倒ですが縦に直してご覧ください。
 この試験ではとりあえず、試行的にルーブリックに書いたいくつかの項目を押さえることができたと思う。と同時に、この試験で期待する基準に達するだけの力をつける授業を行わなければならないと実感した。後期に反映させよう。
posted by 新谷恭明 at 22:50| Comment(0) | 基幹教育 | 更新情報をチェックする

人権教育に於ける戦争の取扱

 人権教育を考えるときに原爆や空襲が教材として使われることがある。確かに戦争は最大の人権侵害である。しかし、子どもたちにとって第二次世界大戦はどれだけのリアリティを以て受け止められるのだろうか。敗戦の年1945年は今から69年前になる。1951年生まれの僕が10歳の時には16年前のことであったから高校生のお兄さんお姉さんが生まれた年だったりしてかなりのリアリティを感じたものである。実際、6歳年長の叔父から「僕は戦後の食糧難に育ったから、背が伸びなかった」というぼやきを何度も聞いたものであった(同級生がみな小柄だったわけではないと今なら思うのだが)。
 で、その当時の僕にとって、69年前というのは明治25年になる。それは日清戦争の2年前である。40歳の中堅教員が10歳の時の69年前は大正4年である。それは第一次世界大戦の前であり、米騒動の前である。そして30歳の若手教員が10歳の時に69年前というとそれは大正14年であり、関東大震災の2年後、陸軍に現役将校が配属となった年である。そしていずれも戦後生まれである。
 さらに最近の戦争である湾岸戦争ですら1991年のことであった。戦争が実況中継されたという衝撃はまさしく新しい戦争という感じがしたが、それも23年前のことであり、僕にとっての原爆や空襲の記憶をはるかに超えている。戦後23年目というのは1968年、全国の大学を学園紛争の嵐が吹きまくっていたときだ。
 人権教育に戦争が教材として使われる意味は戦争が最大の人権侵害であることを理解させるところにある。しかし、これだけ実感から離れたものを教材として何を伝えることができるのだろうか。子どもたちはそれらの戦争経験を歴史として学ぶことになる。歴史であるからそれは過ぎ去ったこととして理解し、現在とは切り離された問題として受け止めざるを得ない。そしていい時代に生まれてよかったとしか思わないし、今はそういうことは起きないと思うだろう。戦争の形態は格段に進歩を遂げ、同じような戦争はたぶん行われない。今や自宅でゆっくり朝食を摂ったあと普通に出勤してパソコンの画面からロボット戦闘機を操り、地球の裏側にいる村を攻撃して何十人かを殺戮したあと、タイムカードを捺して帰宅するという時代になったのだ。
 にもかかわらず、いや、だからこそ、戦争による理不尽な死は重大な人権侵害として子どもたちに教育されねばならないのだと思う。2014年7月29日までにイスラエルのガザ空爆は23日間に及び、死者は1210人に達し、そのうち子どもは287人を占めているという(朝日新聞)。その一方でイスラエル側の死者は51人(うち市民3人)だという(朝日新聞)。この一方的な殺戮はまさしく人権問題であり、今、自分たちと同じ年代の子どもたちが空襲で殺されていることを学ぶことが最もリアリティのある戦争を教材とした人権教育なのだろう。だが、イスラエルは日本と、というより安倍首相と「新たな包括的パートナーシップ」というのを5月に結んでいる。集団的自衛権を安倍内閣が認めてしまったところで、子どもたちにとってイスラエルのガザ侵攻は他人事ではないはずなのだ。そして、そのような空襲が69年前に日本のあちこちの都市を襲ったのだということの意味をようやく理解できるのではないだろうか。
 歴史教育に携わる者であるが故に歴史から学ぶことはできないと言うことができる。歴史は過去のことであり、決着のついたことであって、それは今起きていることではないのである。日本の都市を米軍機が襲い、沖縄で激しい地上戦が行われ、広島と長崎に原爆が落ちて莫大な数の人間が亡くなった。しかし、その傷は癒やされてきているのである。そう書くと不謹慎だと非難されるかもしれないが、戦争体験者が年ごとに減少し、社会の様相も変わっていくにつれて、傷は癒えていくものである。30年ほど前に九州教育学会の大会を初めて沖縄で開催した。僕は九大に着任してまもなくだった。九州教育学会の年次大会は毎年九州各県を持ち回りで開催される。だから沖縄で「初めて」開催されたということの歴史的意味を考えて欲しい。そのとき誰かの挨拶で「本土では戦争体験は風化したと言われているが、沖縄の高校生たちはまだ高い意識を持っている」とかなんとか言っていた記憶がある。それから8年に一度ずつ沖縄で大会があるが、そのたびに沖縄は変化を遂げている。最初に行ったときに感じた「戦後」の空気はその次の大会の時には消えていた。さらにその次の大会の時には沖縄は観光地であった。もちろん沖縄戦の記憶は大切なのだが、当初はガマの中にまだ人骨が落ちているかもしれないという戦時中を引き摺った戦跡巡りであったが、その後それらの場所もきれいに整備されていった。時間というのはそうやって過去を消していくものなのである。
 だから、消されていった過去から学ぶのは難しい。難しいけれど、現在の問題の根は確かに過去にある。過去にあるけれど、過去は時間によって消されているのだ。そして残っているのは歴史書に書かれた史実でしかない。それは「むかしむかしこんなことがありました」という昔話でしかない。時にはその史実すら書き換えられることもある。あったはずのことが無くなってしまうこともしばしばである。なぜならば後世の権力者に都合の悪い史実は無かったことにしたいからだ。ちなみにこの権力者が政治的権力とは限らない。われわれ自身でもあるのだ。しかし、それに力を与えるのは現在の問題意識だ。現在の問題に対する意識が希薄ならば、過去は問題の根とはならない。問題意識があれば過去の事実は重みを持って伝わるはずである。
 子どもたちの「人権と戦争」の入口としての教材は「今」でなければならない。そして「今」の根を過去に見出すことで、過去の体験は力を持ち、子どもたちに平和の尊さを理解させるのである。
posted by 新谷恭明 at 22:36| Comment(0) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする

人権教育に於ける環境問題

 人権教育を考えるときに「環境問題」というのがカテゴリーにある。環境問題がいつから人権問題になったのだろうか。おそらくイタイイタイ病とか、水俣病とかが特定企業の責任であるという判断がなされ、地球温暖化が政府関係者に於いて政治的課題になってからなのだろう。
 近代産業は自然を破壊することによって発展してきた。その過程でいわゆる公害に対して告発してきたのは「左翼」勢力であった。80年代までの彼らは基本的に政治権力(それを支持する経済界)の活動には基本的に反対する立場をとっていたからで、彼らがナチュラリストであったわけではない。一方で、政治権力に近い側にいる者の多くは権力の正当性を無条件に信じるところから発想し、それを「正論」とする。
 少し長くなるが、これは中学明善校首座教諭秋吉音治が明治40年7月16日に夏休み前の生徒たちに対して行った講話の一部である(福岡県立明善高等学校同窓会所蔵文書)。
****************************************************
谷中村ノ事件   諸子ハ栃木県谷中村ノ事件ニ注意シタリヤ。恐ラクハ試験前ニ際シ且諸子ニハ甚タ趣味薄キ問題ナレハ深ク気付カサルベシ。依テ本件ノ大要ヲ告ゲンニ渡良瀬川ノ沿岸ハ洪水氾濫シテ不毛ナレバ県庁ニテハ数十万円ノ費用ヲ以テ之ヲ買収シテ溜池ヲ作リテ其ノ災害ヲ防カント企テ数年以前ニ之ヲ決議シ谷中村民ヲシテ三ヶ年間ニ他ニ移転ヲ命シテ而モ其移住地モ或ルモノニト指定シタリ。然ルニ其ノ郷土ヲ去ルニ忍ヒズトテ期限ニ至リテモ立退カサルヲ以テ遂ニ国法ニヨリテ強制執行ヲナシタリト謂フ。之ニ外部ノモノモ応援シテ或ル者ハ人民ヲ教唆シテ執ママ官ニ反抗セシメタリト。其中ニ田中正造翁モアリタリ。
(君たちは栃木県谷中村の事件を知っているか。おそらく試験前なので気づいてないだろうから、簡単に説明するとだな、渡良瀬川の沿岸はすぐに洪水氾濫をするところなので、県庁は数十万円の費用を投じてこの地を買収し、溜池を作って災害を防ごうとした。そして谷中村民に3年間他の地域に移住するように指図した。ところが故郷を離れるのはいやだと言って、立ち退かないので法律に基づいて強制執行をした。そこに外部からも応援が来て、強制執行に抵抗したというのだ。そしてその中に田中正造翁もいたということだ。)
教育上ヨリ之ヲ見レハ少ナカラサル趣味アリ。即無教育者ノ誠ニ憐ムニ堪ヘタルコト。奇矯ノ名ヲ好ムモノヽ最良ニ供セラレタルコト。愛郷ノ観念ノ如何ニ甚シキモノナルカト謂フコト。利己主義ノ甚シキ社会害毒タルコトヲ知ラシムル至ルコト。
(教育という観点から見ればこれは興味深いことである。つまり、無教育者は実に哀れだということだ。つまり彼らはおかしな政治勢力にいいように利用されていること、愛郷心が強すぎること、利己主義が社会の害毒だということを知らないことによって哀れむべきだろう。)
国民ハ其ノ自由ノ権利ヲ与ヘラルヽト共ニ国家ニ対シテ責務ヲ有スルモノナルコトハ明ナルトコロナラズヤ。然ルニ無教育者ハ自己ノ自由ヲ絶対ノモノヽ如ク考ヘテ国法ヲ重ンスベキヲ知ラズ、自己ノ眼前ノ利慾ニ眩惑シテ県民永遠ノ幸福ナル所以ノ道ヲ考ヘズ、名ヲ好ムモノヽタメニ玩弄セラレテ不忠ノ汚名ヲ蒙ルヲサトラズ。誠ニ憐察ニ堪ヘタルモノナリ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(国民は自由の権利を与えられる一方、国家に対して責務があるのは当然のことだ。しかるに、無教育者は自分の自由が絶対だと思い込み、国法を重んずるということを知らない。目の前の利権に目が眩み、県民永遠の幸福ということを考えない。出しゃばりな連中に振り回されて不忠者と言われるのは残念なことだ。)
教育勅語ニモ常ニ国憲ヲ重ンシ国法ニ遵ヒ云々ト説カレタリ。当地方ハ貧窮ノ結集未タ教化ニ潤ハズ。聖代ノ徳ニ浴スルコト能ハサルハ悲シムニ堪ヘタラズヤ。
(教育勅語にも国法を護れと書いてある。この地方は非常に貧しくて、教育が行き届いていない。だから教育勅語の湖のようなありがたいお言葉も理解されてはいないのはとても悲しいことだ。)
諸子ヨ注意セヨ。国家ハ細心密慮永遠ノ隆昌ヲ保タンガ為メニ諸子ニ教育ヲ施シテ真ニ中堅タルニ足ル善良国民ニ養生セントス。若シ其ノ任ニ当ルモノニ不法ノコトアラハ行政裁判所又ハ刑事裁判所ニ訴訟スルノ道ヲ開ルヽニアラザルカ。サレバ不当ニアラズト考フルトキハ其ノ方法ヲ撰ンテ自己ノ権利ヲ主張スベキナリ。国法ニ反シテ強制セラルヽガ如キ実ニ聖代ノ恥辱ナリ。天下ノ輿論ハ谷中村民ヲ離レタルガ如シ。豈謹マサルベケンヤ。
(君たちは気をつけようね。国家はこの国が永遠に繁栄するようによくよく考えているのだ。そのために君たちを教育することで、中堅の善良な国民に育てようとしている。もし、官僚が不法なことをすれば行政裁判所か刑事裁判所に訴えることができる。だから自分が正しいと思ったときはそうやって権利を主張すればいい。なのに国法に反して強制執行を受けるなどこの世の恥だと思え。だから世論は谷中村から離れてしまったのだ。気をつけようね。)
****************************************************
 このような国家権力(とそれを支える近代産業)を無条件に信じてしまう姿勢をこの国の保守勢力は一貫して持ち続けてきた。それが大東亜戦争への加担であり、戦後の米国への追従であり、高度経済成長期の公害の黙殺であった。
 しかし、ある時期から保守系政治家が環境問題を自己の政策に掲げるようになった。そのような公約を見たとき、その場に立ち尽くすほどの驚きだったことを記憶している。そのように転身した政治家の思想を僕は信じがたい。小泉元首相のように「人間は変わるものだexclamation」と開き直れる人はそれはそれでいい。自身の思想性に何の点検もなく環境保護派になっていく人たちには不信感がある。なぜなら、彼らは過去の過ちについて環境保護的発言はする。つまり、「環境が破壊されてきた(ここまでは過去!)現在、環境を護ろうではないか」という後付けの環境保護論なのである。かつて環境が破壊されてきた過程で公害企業の批判をしたわけではないのだ。
 だから今も同じことが繰り返されている。原発の問題だ。
 人権教育を考えるときに環境問題があると最初に書いた。それは人権教育で扱う環境問題もまた水俣であったり、北九州工業地帯の公害問題であったりすることだ。誤解のないようにしていただきたいが、過去を振り返り、そこから現在を見直していくことを批判しているわけではない。現在の、これから生きていく子どもたちにとっての人権問題としてはそれらは過去の問題であって、今直面している環境問題はまずは原発である。
現在直面している問題が人権の課題なのであって、現在解決に向かって進んでいることは子どもたちにとっての人権問題ではないし、それは何より人権教育にはならない。なぜなら、子どもたちの未来に向かっての〈知〉ではないからだ。
 過去から学ぶことができるという人もあるだろう。しかし、それは人権教育に関しては欺瞞だ。それは大人の仕事であって、子どもたちは今、そして未来に向かって何をしたらいいのかを学ばなくてはならないからだ。
 なぜ原発について語れないのか。電力会社とそれにつるんでいる政治屋たちに対する遠慮だろう。しかも、原発が環境問題だと言うことを特定の政治的発言だなどとも彼らは言いかねない。それを恐れて触らないのが、明治以来変わらないこの国の善良な国民の生き方なのだろう。昨今ではさいたま市の公民館報に〈梅雨空に「九条守れ」の女性デモ〉という句を政治的だという理由で載せなかった。そしてさいたま市長はその判断は正しいとしたケースがある。憲法は憲法なんだからまずそれを「守る」のが国のつとめだろうし、「護る」というのが国民ならば当然の素朴に保守的な愛国心の発露だろう。逆に「変える」というのが政治的なのだ。
 しかし、安倍首相が「変えたい」と言っているときに、「護る」という発言に遠慮してもらうという姿勢こそ権力に媚びるものである。さいたま市長がその程度の腰巾着であることをどうこう言いたいのではない。人権教育にそういう権力に阿(おもね)る部分はないか、ということである。
posted by 新谷恭明 at 16:29| Comment(0) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする