2012年02月21日

通路

 福岡発札幌行きANA289便。B777-300の機上にいた僕は13Cの席で珈琲を飲み、ウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』を読んでいた。この機は最大幅のところには十の座席が並び、二本の通路で三、四、三に区分されている。僕は通路側を好むので、いつもCDGHのどこかを指定していた。いつもなら優先順位はGだ。この日はなぜかCの席であったが、G席は空いている。どういう理由でG席を押さえなかったのだろうか。記憶にないが、もしかして誰かが先に押さえていて、急遽キャンセルになったのかもしれない。しかし、それはどうでもいいことだ。とにかく僕はC席に座って珈琲を飲んでいた。三百円出したスタバの珈琲である。A席にはカーネギーの『人を動かす』を抱えた中年男が座り、B席は空席だった。僕と中年男はB席にそれぞれもてあました荷物を置いてそれぞれの世界に没頭していた。13Gではなくともそういう状況に満足していた。そして三百円を余計に支払った優越感を以て珈琲を口に含んだ。
「機内でドリップしたものでございます。ハウスメイドのものですのでおいしうございます。」
 スチュワーデス、いや今ではキャビンアテンダントというのか、彼女がそのようにありがたい説明を加えて差し出してくれたものだ。確かにいい香りが鼻をくすぐり、珈琲の成分の一つ一つが正確に抽出されて、僕の脳漿にまで沁み通っていくようだった。
 通路を挟んだ13DとEの席には老夫婦が座っていた。この席の前は壁であり、大きなスクリーンがある。その裏側はCAが作業をするスペースになっている。その席の前には座席がないわけだから幾分足下は広い。しかし、広いと言ってもそこは自由に往来する通路ではないことは確かだ。
 と、誰もが思うのだが、僕の右側、つまり通路にさっと人の気配がした。その気配の主はそこで右折すると何の躊躇いもなく老夫婦の前のわずかなスペース、足下であり、雑誌入れなどが貼り付けてある壁との間のスペースをあたかも通路を通るかのように通り抜けようとしたのである。さすがにまっすぐ前を向いて歩くには狭すぎるので老夫婦に直接顔を合わせるような横ばいで、しかも通路を歩くのと変わらぬスピードでそのスペースを通り抜け、もう一本の通路に抜けた。若い男だった。どうやらトイレを探しての彷徨であったらしい。トイレはそちらの方向にあるようだった。彼はどうやらそのスペースを機内を横切る通路だと確信していたのだろう。そこを通り抜けるのに躊躇いがなかったばかりか、もちろん挨拶もなかったのだから。
 傍観していた僕でさえ、その若者の道の選択は呆れるという性質のものであった。老夫婦の前を横ばいで通り抜けるときに違和感を感じた様子もなかったので、おそらく帰り道はどうなるかと期待して待つことにした。
 案の定、若い男は13G席のところから入り込もうとして、13E席の老人の前にさしかかった。しかし、今度はそうはいかなかった。老人はけして長くはない足を精一杯高々と組み、若者に少しの躊躇いを感じさせる程度に通路の幅をせばめていた。そして立ち止まらざるを得なくなった若者に目線で「通るな」と制したのである。
 若者は「なぜ?」という顔で一瞬立ち止まり、そこを通してもらえないことだけは理解して、わびもせずに元の通路に戻った。若者はその後ろの14列の右端Gの席の男に声をかけ、そこから狭い足下をかきわけて14Eつまりくだんの老人の真後ろに座ったのである。
 だからどうということではない。僕は心の中で老人の小さな正義の意地悪に拍手をしていた。若者が自分の常識がまちがっていたと理解したのかどうかはわからない。ただ何もなかったかのようにフライトは続いた。
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2012年02月16日

福沢諭吉「徳育如何」を読む

 福沢諭吉の「徳育如何」は明治十年代の徳育論争に火を点けた一文とされる。福沢が何を問題として提起したのかを「徳育如何」を読み解きつつ考えてみたい。
 「徳育如何」は福沢諭吉立案、中上川彦二郎筆記とある。口述筆記と考えていいのだろうか。
 この文章は比喩が多い。冒頭、「青酸はは毒の最も劇しきものにして、舌に触れば、即時に斃る」と毒物の効き方が記される。青酸とモルヒネでは効く時間に差があるというのだ。同様に肥料もそうであって野菜は三日で効果があらわれ、樹木は一年の後になる。そして「人心は草木の如く、教育は肥料の如し」と教育を肥料になぞらえている。そしてその効果はと言うと、草木のように三日とか一年と短くはない。早くて五年、普通は七年かかるというものなのだ。
 また、草木は肥料だけではなく空気や太陽やらいろいろなものの影響を受けて育つ。教育も同じようなものだ。人間の智徳は教育で育つが、基本は遺伝と育ち方と社会の公議輿論によるものだ。それらの影響は大きい。「学育固より軽々看過す可らずと雖ども、古今の教育家が漫に多を予期して、或は人の子を学校に入れて之を育すれば、自由自在に期する所の人物を陶冶し出す可しと思ふが如きは、妄想の甚だしきものにして、その妄漫なるは、空気太陽土壌の如何を問はず、唯肥料の一品に依頼して草木の長茂を期するに等しきのみ。」(子どもを学校に入れれば好きなように育てられるというのは妄想に過ぎない。肥料だけで草木を育てようというのと同じだ。)
 門前の小僧習はぬ経を読むと言うように人間は環境で育つ、と福沢は言う。それは一つの風であり、「一時一世の流行に外ならず」というのだ。そして「人は恰も社会の奴隷にして、そ其圧制を蒙り毫も自由を得ざるもの」と社会の影響力が最も大きく何ものもそれから逃れられない。福沢は「教へずして知るの智あり、学ばずして得るの徳あり。」と智も徳も教育以外によって身につくものが多いのだと言うのだ。それは「共に流行の勢に従て」行われるものであり、その意味で「社会は恰も智徳の大教場」なのだ。そうした見方をすれば「其(=学校)教育は唯僅に人心の一部分を左右するに」過ぎないのであって、必ずしも知識を学ぶことで理解されることではないのだという。
 ということで、「当今世に教育論者あり」と仮想敵を提示する。これが誰であるかはともかく、昨今の若者の軽薄さ、年長者の軽視、政治にかかわり、政府に刃向かうなど、「学校の教育不完全にして徳育を忘れたるの罪なり」と決めつけ、「専ら道徳の旨を奨励する其方便として、周公孔子の道を説き、漢土聖人の教を以て徳育の根本に立てゝ、一切の人事を制御せんとする者の如し」とその人物を表現している。これは「輓近専ラ知識才芸ノミヲ尚トヒ、文明開化ノ末ニ馳セ、品行ヲ破リ、風俗ヲ傷フ者少ナカラス」と現状を批判し、「祖宗ノ訓典ニ基ツキ、専ラ仁義忠孝ヲ明カニシ、道徳ノ学ハ孔子ヲ主トシテ…」と儒教主義を掲げ、これを「我邦独立ノ精神」とした「教学大旨」の趣旨に酷似している。そうした教育論者が言うには今の子弟は不遜であり、軽躁であるという。その理由は教育の所為ではない。それは「我開国に次で政府の革命、即ち是なり」、つまり開国と明治維新だというのである。
 開国によって日本はようやく自主独立ということを知ったが、それまで士族は周公孔子の徳教に育てられ、忠孝の二文字を支えに生きてきた。しかし、これが維新後大きく変わって人の生き方も変わった。父子有親君臣有義夫婦有別長幼有序というのは聖人の教えだが、そうやって生きてきたはずの士族たちが時代とともに変わったことをみれば、こんな教えが守られていたとは思えない。
 とは言うもののこれは世の中が変化した所為なのであり、今の世の教育論者はそれを古、つまりは元禄年間に戻せと言うのだろうか。古典によって現代の考えを押し潰そうというのか。しかし、明治は元禄ではない。それは教育が異なるのではなく、公議輿論が異なるのだ。だいたい開国と明治維新によって今の公議輿論も出てきたのである。そして人心は良くも悪くも改進の方向に向かっている。そしてそれは今さら昔には戻せないものなのだ。
 だから、今の世の子弟が不遜軽躁であるのも公議輿論によるものであり、公議輿論を変えなくてはならないだろう。だからと言って公議輿論を封建時代のものに戻すことができるか、と言えばそれはできるわけがない。それに今の若者を批判する人々も維新の時には似たようにしていたではないか。そして、それは何歳の時だったか。言い返せまい。
 福沢の目から見れば、周公孔子の教えというのは国民の公議輿論に適すべき部分にのみ機能する。それは支那と日本がおなじ周公孔子の教えに従っていてもやることはまったく反対であるのを見るといい。
 現在の日本は改進の方向に向かっている。「古風の忠は今日に適せず」と言う。時代は変わったのだ。「今日自主独立の教に於ては、先づ我一身を独立せしめ、我一身を重んじて、自ら其身を金玉視し、以て他の関係を維持して人事の秩序を保つ可し。」とまずは自分自身を大切にして他者との関係を求めるべきだという。福沢は今世の教育論者が古来の典経を徳育に使おうとするのを責めるわけではないが、それらの経書の働きを自然に公議輿論に合わせ、有効に機能させようと考えている。「即ち今日の徳教は輿論に従て自主独立の旨に変ず可き時節なれば、周公孔子の教も亦自主独立論の中に包羅して之を利用せんと欲するのみ。」として自主独立を柱に読み替えていくべきだとするのである。学校も含めて自主独立の輿論に従うのが智者の策だ、というのが福沢の言わんとするところだ。
 
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2012年02月05日

明日を拓く教育セミナー

 2月4日(土)2011年度の福教組明日を拓く教育セミナーの修了式だった。この日は世話人の僕と勝山さんとで30分ずつミニレクチャーをして終わりとなる。
 次年度からこのセミナーは見直しとなるようだ。田中組織部長は「前向きに見直す」と言っているが、その思いとは別に流れは縮小モードのような感じがする。つまりは支部でのセミナーのようなものに切り替えていく流れだ。地元で、地に足のついた、等々言い方は何とでも言える。しかし、お手軽という扱いになってしまうのではないのか。お手軽な物についてはそこでの学びも重要視はされないということを意味する。何年か前に直鞍支部で連続講座をやったことがあるが集まったのは数人であった。ま、いろんなことが仕事や生活の中にあって、どうしても時間が空いた時に出てくるというお手軽さになるということだろう。
 仰々しく開講式をやり、泊まりがけで語り合い、修了式をやって修了生となるということだから、そこで学ぶことにも意味が出てくるというものだ。それでも1回の講義の時間は短くなり、全体の講義の回数も少なくなり、宿泊するのも少なくなった。それは福教組の体力の問題以上に受講する人たちの学びへの意欲の問題があるのだと思う。部活がある。学校の仕事が忙しい。家庭の事情で宿泊できない。言えばいくらでも出てくるそれぞれの事情がどんどん増えてきているのだ。組合と言うことより、自分の学びにかける重みがどんどん下がっているということだろう。当然、支部単位でこまめにやるということになれば、組合員の学びの体制はまちがいなく風化の方向に行くだろう。さらにこのセミナーは将来の幹部研修であった。将来組合を担う人材が学びを忘れた人間ばかりになっていくことの怖さも胚胎している。
 だから、社会人として学ぶということの意味を理解してほしくて、最後のセミナーの最後に信濃自由大学の理念について講じた。それに知識や人権意識までも断片化した教育のあり方を批判し、それを克服するためにも杏村の言う、そしてジェルピの言う自己決定学習があるのだということ。そして昨今起きた差別事件などの場合にもそれは言えるのだということを訴えた。
 さて、一夜明けてすべてが終わったことを川端商店街を吹き抜ける冷たい風が教えてくれた。僕の役割も終わったようだ。
posted by 新谷恭明 at 11:59| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする