2010年08月27日

教育基礎学研究会合宿その2

帰りに秋月に寄りました。

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旧武家屋敷は風通しのいいお部屋でした。

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食事もおいしゅうございました。DSCF6314.JPG
posted by 新谷恭明 at 20:46| Comment(0) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする

2010年08月25日

研究するとはどういうことか

卒論、修論、学会発表、、、そういう季節だ。
何のために研究をしているのか。修論やら学会発表やらをそつなくこなせばいいのか。そのような意識のものは逆にそつがあって、こなせない。
一つの歴史的事象は歴史的構造の中で存在理由を持っている。その仕組みを解明するということが研究の意味となってくる。それが良かったか、悪かったか、という評価をするのは研究ではない。
良かったか、悪かったかはその事実に対する評価者の感想に過ぎないか、イデオロギー的な色づけである。戦争が正しかったかどうかは政治的な見解の問題だろう。戦争好きにその好みの醜悪さをなじってもしょうがない。しかし、何故、戦争をしたのか、戦争の中で何が起きたのか、何故負けたのかを明らかにすることは必要だ。
一つの学校があり、その学校の果たした役割は何か。そこに歴史性を読み取ることがたいせつなのである。よかったとか、悪かったという皮相な評価(=政治的コメントに過ぎない)ではない。例えば日本国憲法。9条が大事だとか、邪魔だとかいうのではなく、冒頭に天皇制を謳いつつ平和憲法という体裁をどういう経緯で構築したのか。それを認めていった政治構図はなんであったのか。そういうことを明確にすることから戦後の日本国家の枠組みというものが見えてくる。
大東亜共栄圏然り。五族協和の思想然り。それらが取って付けたものであることくらい見抜けなくては論外。そうしたスローガンのもとで行われた戦争の構図を描くことが大事だ。
posted by 新谷恭明 at 15:41| Comment(0) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする

教育基礎学研究会合宿

23~25日に九重九大山の家でおこなった。
で、だ。何のために研究をしているのか。修論やら学会発表やらをそつなくこなせばいいのか。そのような意識のものは逆にそつがあって、こなせない。
一つの歴史的事象は歴史的構造の中で存在理由を持っている。その仕組みを解明するということが研究の意味となってくる。それが良かったか、悪かったか、という評価をするのは研究ではない。
良かったか、悪かったかはその事実に対する評価者の感想に過ぎないか、イデオロギー的な色づけである。戦争が正しかったかどうかは政治的な見解の問題だろう。戦争好きにその好みの醜悪さをなじってもしょうがない。しかし、何故、戦争をしたのか、戦争の中で何が起きたのか、何故負けたのかを明らかにすることは必要だ。
一つの学校があり、その学校の果たした役割は何か。
posted by 新谷恭明 at 15:37| Comment(0) | 月例研究会 | 更新情報をチェックする