2010年07月22日

採点終了

 非常勤で行っている二つの大学の期末試験の採点が終わった。
 某看護大学。昨年は新旧2課程、つまり2年と3年をやり、しかも、落ち着きのない学年を一つ含んでいたのと、講義の締めがきちんとなっていなかったこともあって惨憺たるものであった。今年は毎回その日の講義で学んだ中から課題を出して書かせるようにした。それと過去問をちゃんと勉強しておくように示唆しておいたので昨年よりはかなりよかった。それでも不可は3分の1程度だった。やむを得ず再試験とすることにした。再試験問題は今回の試験問題を深めたものにしてその代わり持ち込み可にすることで頭を使わせることにした。
 某女学院大学。こちらは人権を扱う科目なので中途半端な再試験はしないことにしてきた。しかし、テキストがないことから講義ノートが重要な学びの材料になる。ところが学生諸君は板書を写すことにのみ汲々として講義を聴いていない。それがわかったのは試験の時だ。意味不明で、かつ同じ間違いをしている答案がいくつも出てきたので、板書の写真(撮っていたのだ)を見てみると、ちがう話題がたまたま黒板の上で並んでいたのだが、それをただ試験勉強の時に意味も考えずに覚えてきたらしいことがわかった(信じられん)。で、今年は板書は予め資料として配付し、講義を聴くことに集中させた。そして4回に1回小テストをした。つまり小テスト2回、本試験1回。で、1回目の小テストについてはモデル解答を示した。また、毎回数個の課題を配付資料に付し、そのうちの一題を毎回書かせ、その中から小テスト、本テストの問題も出した。わからない学生にはちょっとの時間だが講義後も話をした。
 結果、危ういと思われていた3~4名の学生もかなり健闘していて、やや甘かったがギリギリ合格点には達した。もちろん高得点者も多く、数人いた再履修者も好成績であった。と言うわけで全員合格という快挙となった。
 気持ちのいいビールが飲めそう。
 
posted by 新谷恭明 at 21:38| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2010年07月15日

暑くなってきた。

ゼミで扱うので園田英弘氏の「森有礼の思想体系における国家主義教育の成立過程」なる論文を読んでいるが、思えば園田氏が広田照幸氏などと一緒に書いた本の書評をしたことがあった。
懐かしい思い出ではある。
彼が別稿(前掲論文と共に『西洋化の構造』思文閣出版 に所収)で論じた郡県の武士という発想は僕が中等教育の担い手として考えた新士族層というのと似た発想であった。なので、感覚的には共感できるのだが、どうして社会学をやる人が歴史研究をするときにはやたらと理論武装するのだろう。
それはともかく久しぶりに再読。


posted by 新谷恭明 at 21:29| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

意味のない論文

現在ゼミでは森有礼に関係する論文を毎週読んでいるが、このところその論文が何のために書かれたのかよくわからない論文を読まされて、辟易している。学部生の諸君でも「得るところはない」と断言するくらいだから、そうなのだ。
森有礼の研究というのは大概しつくされているから、よほど新しい視角や、新史料の発見でもない限り、新しく何か言うことは難しい。にもかかわらずそれなりの読み応えのある論文は無いわけではない。
しかし、今さら森の教育思想は国家主義だとか、新発見のように言われても困るし、あたかも新発見であるかのように史料を紹介しているものの、それは全集に載っていて、しかも著名な文章で、かつ引用者が誤読しているものなどは笑止の至りである。
また、自分の小さな関心だけ(例えば教科書とか)にむりやり引きつけて見当違いの解釈をしたりするものなどは執筆者の教養の薄さを思うだけで嘆息する。
で、問題なのはそうした論文を自分の研究の時に引用してはならないということだ。先行研究を引用するときには意味のある論文を引用するべきであって、意味のない論文を引用することはそれだけで嘘を世間にばらまくという罪だと言ってよい。
尤も、自分が論文を書くときはそれが嘘をばらまくことになるかもしれないという緊張感を持って書くべきで、業績稼ぎに思いついたことをバラバラ書き散らしてはいけないのだ。

Amazon.co.jp 「みんなが選ぶ本」 10%ポイント還元
posted by 新谷恭明 at 12:45| Comment(0) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする