2009年07月28日

試験と反省(その2)



で、もう一つの非常勤先の某看護大学の「教育学」の試験の採点をやった。こちらは旧カリと新カリの2クラス。新カリクラスは2年生中心で比較的静かに聞いているクラス、旧カリは3年生が中心でとにかく崩壊状態のクラス(あまりの奔放さに憎めないので呆れてしまったが)。
こちらはテキストもある(新谷恭明・土戸敏彦編『人間形成の基礎と展開』コレール社)。必ずしもテキスト通りにはいかないが、テキストに僕の講義をあわせてメモしておけばそんなに難しくはないはずだ。
試験問題は新旧は別にした。テキストに書いてあることを読んで講義を聴いておけばできるというのは共通している。
しかし、旧課程の試験は正答にかすりもしない零点が続出。
例えば「生理的早産の教育的意味について」問うた。「生理的早産」というのは人間は動物とちがい、まだ未熟な状態で生まれてくることを言う。しかし、さすがに看護大学、これを早産と思い込んだ答が続出した。なんの科目だと思ってんだか。
あまりのひどさに大笑いしてしまった。
新課程は零点というのはなかったが(実際ははずれているが、微妙にかすっているかもしれないという配慮で10点、20点くらいあげたのはある)、全く分かっていないというは同じだ。
で、某看護大学「教育学」新カリの及第者(60点以上)は44人中13名、問題の旧カリはなんと62人中8名。それぞれ90点以上の受験者もいるから問題が格別難しかったわけではない。で、改めて某女子大の「人権と社会」を点数化したら合格者は60人中30人。まあ良かったんでないかいという感じだ。

ともかく勉強しなくても何とかなると思っている学生たちが多すぎ。情けないというか。

近々試験問題と解答のポイントを公表しようかな。
posted by 新谷恭明 at 14:53| Comment(0) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする

2009年07月26日

試験と反省(1)



某大学の「人権と社会」の試験の採点をした。採点し始めて腹の立つこと。

この講義、人権問題に関わるので、不合格の場合は再試験はしないので、再履修するように、と言ってある。そして何度も丁寧に説明をくり返したつもりでもある。そして試験は自筆のノートのみ持ち込み可、とした。
しかし、採点し始めて愕然とした。ほとんど質問を理解していないし、答えもひどいものだ。何しろ「問題1 近世政治起源説の功罪について述べよ」はまず「功罪」の意味がわからなかったので、功=よかったこと、罪=悪かったこと、と板書して差し上げたくらいだ。にもかかわらずまともに書けたのは2名。あとは関係のないことを滔滔と書いてた。
「問題2 この図について説明せよ」として中世に差別の慣行が始まり、近世において制度化され、1871年にその制度は終焉したことを示す図を挙げた。これは授業中に2回(2週にわたり)図を描いて示したものだからわかるはずなのだが、これもほとんどとんちんかんなことを書いていた。「差別は上下ではなく、ウチ・ソトの差別だ」という文がほとんどの解答に見られた。で、板書を見ると(板書は全部デジカメで撮っていた)、この図の右に確かに差別はウチ・ソトであることを示す図があり、その左側、つまり二つの図の間に「ウチ・ソト」の説明を書いていた。つまり学生諸君は図の意味は理解できず、その周辺にあった文字を書き写しただけだったのだ。しかも2枚の答案は「ウソとホント」とまちがえていた。笑ってしまったが、笑えない話である。

学生諸君はただ板書をノートに書き写していること。その板書の意味は全く考えないこと。試験問題がその近くにキーワードであれば、質問の意図とは関係なく、書き写したものをそのまま転写することがわかった。だから、まったく脈絡のない文になってもいっこうにかまわないらしいのだ。実際、板書そのまま(箇条書きのまま)答案用紙に書いてある学生もいた。

学生たちは全く学ぶとか、考えるという気持ちがないことが伝わってきて、誠心誠意講義していた自分が非常に惨めで情けなくなった。

来年の対策は毎回試験をしてやろうかと思う。そして正しい答案の書き方を教えねば...ていうか、習ったことを自分の知にする学び方を教えねばと思う次第。しかし、四分の三を落とすことになるのかなあ。

この文章を書いていたら、外の不穏な雰囲気を察した。出たらたいへんな事態になっていた。⇒「日々雑録」を参照。
posted by 新谷恭明 at 14:52| Comment(0) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする