2018年03月09日

どうでもいい話

Facebookにどうでもいい話をだらだらと書いてきた。なのでどうでもいい話をまとめて読みたい人のためにどうでもいい話をまとめてみた。
『どうでもいい話』
posted by 新谷恭明 at 13:28| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

紀元節

2月11日は紀元節でありました。筑豊青年部の学習会でお話をしてまいりました。
当日の史料です。歴史を知らなければ騙される。聞くところによると明治節を復活させたい連中も出てきたそうな。
同志諸君!闘おうぜ!

学校と儀式と君が代と
学校と儀式と君が代と史料
学校と儀式と君が代と
posted by 新谷恭明 at 14:31| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年02月09日

君が代はいつから君が代か

 君が代には3種類のものがあったことはよく知られているし、僕も書いたことがある(『学校は軍隊に似ている』海鳥社2006)。海軍省にかかわるフェントン作のもの、『小学唱歌集 初編』に載っているウェッブ作曲のもの、そして宮内省による林廣守作のものだ。フェントンの作品は国歌のない日本軍に対してフェントンが同情的に作ってくれたものだが、これは国内的には天皇賛歌という位置づけであったらしい。
 『小学唱歌集 初編』に載っているものは文部省が国歌を意識して作ったものと思われる。

   ⇒『小学唱歌 初編』の君が代

 宮内省では林廣守、実際には彼の息子の林廣季と伶人奥好義が原曲を作り、林廣守が仕上げたという(歴史教育者協議会編『三訂 日の丸・君が代・紀元節・教育勅語』地歴社1985)。その経緯は斎藤基彦のHPに詳しい。
 ところで、学校での儀式に関してざっと見た新聞資料では明治22年7月に行われた第二瀬高高等小学校の開校式のものが古い(『毎日ニュース事典』)。ちょっと紹介しておこう。

  瀬高高等小学校の開校式(明冶二十二年七月二十三日 福岡日日)
瀬高高等小学校開校式 山門郡第二瀬高高等小学校は校舎の狭隘なるより、去る五月中旬より増築の工事に取り掛り、本月初旬工事竣功せしを以て、去る十九日上棟式並びに本年学期試験免状授与式を挙行す。当日は折悪しく大雨にて来賓多かず。第一鐘の点呼にて生徒式場に入る。次に郡長、町村長、校長等それぞれ着席ありて、一同立礼終わりて唱歌(君が代)、次に学期試験成績の報告あり。これより第一生より順次修業証及び卒業証の授与ありて、卒業生唱歌(仰げば尊し)、郡長十時一郎氏の祝詞朗読終わりて、本校首坐訓導中村九郎氏の答辞朗読あり。次に柳河高等小学校長、上庄尋常小学校首坐訓導、村長鬼又彦氏及び同校訓導宮本伯次郎氏の詞朗読あり。唱歌(螢の光)、第二鐘の点呼にて、来賓及び生徒は扣所に入る。この時村氏は学芸品陳列場へ来賓を誘導す。午後一時来賓悉皆宴席に着く。宴会の間同校女生徒をして酒間の周旋をなさしめしは、かの普通酌女のごとき野鄙の観なく、終始席慇懃なりしは、来賓もいっそうの愉快を感じて、午後第四時退散されたり。続きて日廿一日の両日は、学芸品の縦覧を許せし由。

 この新校舎落成に伴う開校式は試験免状授与式と卒業式を兼ねていた。そして唱歌として「君が代」「仰げば尊し」「蛍の光」が歌われている。これより先にもこのような儀式は行われていたのかもしれないが、そこはまだ調べがついていない。
 一方、学校での儀式は明治24年に「小学校祝日大祭日儀式規程」が定められて以降、法的に位置づけられた。そして明治26年の「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」で儀式で歌われる唱歌が決定したというのが今のところ教育史で学ぶ史実である。
 ここで想定された君が代はいったいどの曲であろうか。おそらく伊沢修二編『小学唱歌 壱』(大日本図書 明治25年)が出ているから、これに掲載されている「君が代」であろう。

  ⇒伊沢修二小学唱歌壱

このテキストには「此曲ハ、今日、殆ド我国歌トシテ、祝日祭日ナドニ、一般ニ用ヒラルヽコトヽナレリ。故ニ何レノ学校ニ於テモ、能ク習熟セシメンコトヲ要ス」と説明があることから、すでに「国歌トシテ」歌われていたとある。
 学校では前述の『小学唱歌 初編』掲載のウェッブ作曲のものしかなかったわけであるから、儀式の際に歌われる君が代はいつから『小学唱歌 初編』の曲から『小学唱歌 壱』の曲に代わったのであろうかという疑問が出てくる。要は先述の第二瀬高高等小学校の開校式兼卒業式ではどちらが歌われたのかという疑問である。
 儀式に関して言えば明治24年12月の「小学校ニ於テ祝日大祭日儀式ニ用フル歌詞及楽譜ノ件」に「従来祝日大祭日ノ儀式ニ用フル目的ヲ以テ著作シタル歌詞及楽譜ニ乏シク儀式施行ノ際不便尠ナカラサルヘクト存候先ツ文部省及東京音楽学校ノ編纂ニ係ル唱歌中ノ歌詞及楽譜ニシテ右儀式ヲ行ウノ際唱歌用ニ供シ差支ナキモノヲ挙ケ」云々と記されている。儀式の際に使う曲が少ないので、文部省と東京音楽学校が編纂した曲の中からよさげなものを挙げる、というのだ。そして(別紙)には文部省音楽取調掛編纂『小学唱歌集 初編』掲載の「君が代」と東京音楽学校編纂の『中等唱歌集』所載の「君が代」の二曲が挙げられているのである。
 それを見てみよう。
    ⇒中等唱歌君が代
 なんと、こちらは作曲者名は書いてないが、林廣守のものである。つまり、この『中等唱歌集』が発行されてから、伊沢修二が『小学唱歌 壱』を編纂するまでの間、二種類の君が代が文部省筋(文部省と東京音楽学校)では並立していたということ。そして第二瀬高高等小学校の開校式兼卒業式は明治22年7月であるから、ウェッブ作曲の『小学唱歌集 初編』の君が代が歌われていたことになる。
 整理すると、明治15年から明治22年7月まではウェッブ作曲の君が代が歌われ、明治22年12月からは尋常中学では林廣守の曲が歌われるようになり、明治24年12月には双方が国の推薦曲となり、明治25年あたりには小学校も林廣守のものに落ち着いてきていたと考えられる。

posted by 新谷恭明 at 16:18| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする