2019年10月02日

史実と授業・啓発の結合をめざして

(公益社団法人)福岡県人権研究所では11月16日(土)に(NPO)宗像地区人権と共生の会と共催で

2019年度「史実と授業・啓発の結合をめざして」を開催します。テーマは「近現代部落史の授業実戦に向けて」と題し、福津市文化会館カメリアホール視聴覚室で行います。

僕が理事長をしている2つの団体の共催なので、よろしく。というところです。
posted by 新谷恭明 at 14:05| Comment(0) | 社会活動 | 更新情報をチェックする

2019年07月15日

母から祖父母への葉書

 最期の一枚は葉書であった。昭和26年1月2日付の葉書である。母が新谷家に嫁いで年が明けたところで書いた葉書だ。歩いて10分程度の距離なのだが、わざわざ葉書を書いていた。しかも新年だというのに。そのあたりに当時の家族観というものがあったのだと思う。
letter004b.jpg母から祖父母宛の葉書
 病床にあった祖父のことを案じているのと、この頃すでに文学的な趣味を持っていたことが察せられる。
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つゝしんで新春のお喜び
申し上げます
○とそ祝(いわ)ひて摂(と)りたる箸(はし)は
重(おも)たけれ
     父(ちゝ)やみてあれば
      父(ちゝ)のおもほゆ
○嫁(とつ)ぎきて迎(むか)ふる新春(はる)の若(わか)水(みづ)や
○若(わか)水(みづ)にうすごほり張(は)る寒(さむ)さかな
                (■■■)
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( )内はふりがなである。
posted by 新谷恭明 at 23:04| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

父から祖父母への手紙

 もう一つは父から家族(両親と妹)への手紙であった。父は樺太医専の学生で、手紙には「十日夜」と記されている。文面から見ると昭和20年8月10日にしたためられた手紙だ。
letter007b.jpg父が書いた家族宛の手紙

 つまり、ソ連参戦直後に書いている。文面は以下の通り。
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 謹啓
御無沙汰致しました
父上様始め皆様にはお変り御座居ませんか
小生元気で日々作業に勉学に邁進致して居ります故
御安心下さい
戦局いよいよ重大となり遂にソ聯と開戦し、当樺太も
戦場と化して参りました。
敵兵既に越境侵入し敵機も亦本土上空を旋回致して居り
ます。
然し我か備等さにあらず、皇軍の勇戦敢闘に御期待下さい
我等も亦近く出陣致す事と思ひます。
其の時は喜んで決戦場へと赴く覚悟です。
父上様も十分お体に御留意して御奮闘下さい。
■■も母さんや先生の言ふ事を良く聞いて勉強して
良い子になつて下さいね。
では御機嫌様 近所の皆様によろしく
十日夜
■■ 拝
御両親様
■■様
二伸、
果実お願ひ致しました小包未だ発送前でしたら良く切れる
小刀かナイフを入れて下さい
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 父から何度か樺太時代のことは聞いたことがあるが、戦後をソ連兵と過ごし、その後帰国してから北大の医専に編入(ていうか、樺太医専生は新七期というふうに位置づけられていた。だから、当時の北大には医学部、医学専門部の旧、医学専門部の新という三つの医師養成機関があったことになる)された。そして結婚し、新しい人生を歩んでいく中で僕の知っている父になっていた。父の樺太の記憶も僕が聞いた時にはこの臨場感はなかった。
 そして、父が当時の形式通りではあるが、「決戦場に赴く覚悟」を書簡に記していたことはいささか衝撃であった。
 そしてこの手紙を母がなぜ大切にとっていたのか、それはわからない。
 
posted by 新谷恭明 at 22:57| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする