部落史授業の空白の50年

 部落史の教材をつくった。cat.jpgこの俺が
 某人権読本に部落改善運動の教材を入れることにした。部落史に関しては解放令の制定から水平社の結成までの50年間は空白の50年となっている。途中、学ばなくてはならないことは多い。しかし、研究自体も進んでは居ないのが実情だ。
 なぜならば、前近代は身分制度の中での被差別身分の研究ということでそれなりに成果はあがっていると思うのだが、近代史ではほめることが水平社運動くらいしかないので、というのが言い訳のようだ。
 なぜ、貧困化に陥ったのか。いわゆるスラム化による「特殊部落」の形成という観点での研究はあった。被差別部落なるものは近代において生まれたものだという見方だ。それは正しいと思う。しかし、これまでの民衆史的視点から見るといいことのない歴史にしかならないのであろう。「元気が出る」「村のこどもが顔を上げられる」そういう授業にならないとこまる。そういう現場的な思い込みが何かを踏みとどまらせているのではないだろうか。
 そうこうしているうちに部落史はおろか部落問題そのものを知らない教師たちが増えているとも聞く。それならば「顔を上げられない」ほど部落問題を意識している子どもたちが、差別する側にもされる側にもどれだけいるのだろうか。このあたりになると教師も運動体も積極的な発言が非常に乏しくなる。日頃、教育現場にいない我々研究者にとっては困った事態になっている。もしかすると「顔を上げられない」子どもたちというのは、「同和」教育運動が展開し始めた頃の子どもたちのことであって、その後の歳月の中で子どもたちの意識は随分と変わっているのではないかと思うのである。なにしろ誰も情報をくれないのだ、とぼやいてもしょうがないか。
 それはさておき、なぜ部落史の授業に50年の空白があるのか。まずは先ほど触れた貧困化は基本的に負の歴史になるので「元気が出ない」ので授業しにくいということ。部落改善運動は自己責任や恩恵主義が水平社運動とそぐわないので教えにくいということなんかが理由なのではないかと思われる。何しろ水平社宣言で「これ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である」と改善運動のような運動を否定しているから尚更である。
 しかし、そうではない。部落=地域を住みよくしようということは決して悪いことではないはずだ。そう思って、某運動体の役員の方に聞いてみたら、
「確かにそういう改善運動をしてきた歴史はあるし、それ自体はまちがってはいない。そして水平社運動とは別のものだと思う。但し、史料はない。」
というような答を得た。
 暮らしをよくしようということが悪いはずはない。なぜそれを水平社宣言は批判しているのか。それは部落をいくらきれいにしても、経済力をつけても、道徳的に高めたとしても、そのことは差別の解決にはならなかった。そしてそのことを目的とすると堕落した、ということに過ぎない。
 で、やむを得ず自分で教材をつくってみた。ネタとしては『福岡県教育会々報』に掲載されていた部落改善運動の報告書を使った。
 解放令のあと、新政反対一揆があり、この中で解放令反対もスローガンに入っているし、各地で被差別部落の焼き討ちも行われている。これにちょっと触れる。その後貧困化が訪れ、差別が顕在化する。そこに学校の教員が入り込んで改善運動を起こすという解放令以降40年をざざっと叙述し、それでも差別はなくならなかったということで、生徒達に差別とは何かについて考えさせる物語だ。
 教材の中で「差別」という言葉は使わなかった。「仲間はずれ」という言葉でさりげなく触れた。さりげない「仲間はずれ」が深刻な差別であるということが重要な気づきになればいいのだと思うのだが、
〈差別を告発する〉
強い口調がないと何を伝えていいか理解しにくいらしい。その説明のための資料もつくるように言われている。なぜ「差別」という言葉を使わなかったか。元の史料に使われていないからである。教育会の会報に乗せた教師の文章はこうである。
「中に何故とも知れず、寂しさうに壁に倚凭つて、多勢の児童が歓び戯れる有様を眺めながら立つてゐる一団がある、可愛さうにも唇を噛みしめながら、勇気を出せ………懼れるな………と言てやりたい顔つきで、人知れず暗涙にむせんでゐる父兄もある、これぞ彼等の境遇と知るもの誰が一掬の涙を濺がざるべき。嗚呼、何故に我等ばかり卑められたり辱められたりするのであらふ」
 要は仲間はずれなのである。子どもだけではない。親たちもそうなのが部落差別なのである。この時期に「部落差別だ」とは彼らは叫んでいない。それは後世の運動から言わせる言葉であって、それをその状況で言わせたら歴史の捏造になってしまう。「同和」教育運動は一つの運動だから、運動としては差別と闘うのは正しい。しかし、歴史をねじ曲げてしまってはいけないのだ。それは今の子どもたちの状況の説明でも言えるのだが、それはまあいい、措いておく。当時は「仲間外し」であり、実はそれが差別の本質なのだということを生徒達は主体的に、対話的に深く学んでほしいのである。ていうか、教師たちが生徒にそう学ばせてやってほしいのである。
 しかたがない。近代部落史のアウトライン(新谷史観だ、文句あるか)、授業の展開例までつくらないかん。それと連載の原稿、それと福岡市人尊協の講演準備。そんなのをこの週末の台風の中でやらねばならぬ。自分の体力・能力(仕事が遅い)を超えた仕事量だ。嗚呼、今夜も夜中を過ぎてしまった。
posted by 新谷恭明 at 00:31| Comment(2) | 研究雑感 | 更新情報をチェックする

2017年09月14日

佐々木盛雄『天皇制打倒論と闘ふ』第三章①

 第三章は「天皇制護持論」である。ここからは佐々木は天皇制護持論とされるものについてコメントを展開していく。
 「其の一」は「感情的に天皇制を支持する論」だ。それは「素朴なる信念論」であり、「われわれは日本人である」「日本人なるが故に天皇を敬ふ」というまさにシンプルなものだ。佐々木は「真の日本的民主々義は、この国民的信念を前提とする天皇制を認めてこそ、その実現が速やかに出来ると云ふにある」し、「天皇制と、民主主義とは何等矛盾しない」のだそうだ。
 この護持論の根拠を佐々木は3つあげている。
①日本は一家一国家であり、その家長が天皇である。
②歴代天皇は民主的であった。
③天皇は平和主義者である。
 これについての佐々木の見解は、この素朴な信念は認めつつも、「近代人は
合理性を飽くまで要求するのであつて
」「たゞ感情的、信念的に天皇制護持を叫ぶのは、正に歴史に逆行するものである」と批判し、こうした「神秘的信念論の横行こそは、軍閥に悪用される結果となり、つひに太平洋戦争の如き所謂犯罪的戦争を誘発せしめるに至つたのである」と言い切るのである。この発言からわかるのは佐々木が民主主義と近代的歴史学を重視する立場にあることである。但し、こうした知見の上に佐々木は「この国民的信念を裏づける合理的理論が用意されなければならぬ」と締めくくる。感情論にも合理的な裏づけが必要だということだ。
posted by 新谷恭明 at 10:22| Comment(0) | 研究ノート | 更新情報をチェックする